『留萌本線・廃線(留萌駅-石狩沼田間)内の駅を訪ねて』-旧真布駅・旧恵比島駅-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
留萌本線はかつて旭川市の隣町「深川市・深川駅」から日本海沿岸に位置する「留萌市・留萌駅」を経由し「増毛町・増毛駅」を結んでいたJR北海道の鉄道路線でした。
利用客の減少から2016(平成28)年12月に留萌駅~増毛駅間(16.7㎞)の営業を廃止し、瀬越駅・礼受駅・阿分駅・信砂駅・舎熊駅・朱文別駅・箸別駅・増毛駅が廃止になりました。
さらにこれも利用者の減少によるということで、2023(令和5)年3月に石狩沼田駅~留萌駅間(35.7㎞)の営業を廃止し、留萌駅・大和田駅・藤山駅・幌糠駅・峠下駅・恵比島駅・真布駅が廃止になりました。
そして、今後(令和8年4月)に深川駅~石狩沼田駅間(14.4㎞)の営業を廃止し、石狩沼田駅・北秩父別駅・秩父別駅・北一已駅が廃止になることになっています。
※ 上記の駅名をクリックして頂くと、その駅の記事が表示されます。
※ 以下の駅の廃止後の様子 [ 旧瀬越駅・旧礼受駅、旧阿分駅・旧信砂駅、旧舎熊駅・旧朱文別駅、旧箸別駅・旧増毛駅 ] も各駅名をクリックして頂くと、その駅の記事が表示されます。
その廃止まで半年ほど先に迫ってきていますが、そこで今回から数回にわたって2023(令和5)年3月に廃止となった石狩沼田駅~留萌駅間(35.7㎞)の駅、留萌駅・大和田駅・藤山駅・幌糠駅・峠下駅・恵比島駅・真布駅の様子を紹介して行きたいと思います。
他のブロガーの方も既に紹介されていますが、あえて私も紹介させて頂こうと思った次第です、よろしくお願いいたします。
訪問日:2023年(令和5年)6月下旬)
石狩沼田駅
石狩沼田駅の現在の様子は数年前とあまり変わっていないようなので、私が以前『JR留萌本線の駅を訪ねて』-石狩沼田駅-で紹介した時の画像を使わせて頂きましたのでご了承ください。
石狩沼田駅(いしかりぬまた)は、雨竜郡沼田町北1条3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅で、1910(明治43)年11月に鉄道院留萠線深川駅 - 留萠駅間開通に伴い沼田駅(ぬまたえき)・一般駅として開業しました。
以下、本駅の歴史を紹介します。
・1924(大正13)年に「石狩沼田駅」に駅名が改称されました。
・1931(昭和6)年10月に札沼北線中徳富駅(初代のちの新十津川駅)から当駅間が開業しました。
・1935(昭和10)年10月に札沼北線が札沼線に改称されました。
・1944(昭和19)年7月に戦争のため札沼線:石狩追分駅から当駅まで休止されました。
・1949(昭和24)年6月に公共企業体:日本国有鉄道に移管されました、
・1956(昭和31)年11月に札沼線瓜生駅から当駅間の営業再開しました。
・1972(昭和47)年6月に札沼線新十津川駅から当駅間が廃止されました。
・1987(昭和62)年4月に国鉄分割民営化によりJR北海道に継承されました。
・1997(平成9)年4月に線路名を「留萌本線」に改称されました。
・2023(令和5)年4月に当駅から留萌駅間の廃止に伴い終着駅になりました。
・2026(令和8)年4月深川駅から当駅間が廃止になり廃液になる予定です。
単式ホーム1面1線と側線を有する地上駅(無人駅)で、深川駅管理の簡易委託駅です。
※ 以下の動画には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴にの際しては音量に十分ご注意ください。
旧真布駅
真布駅は雨竜郡沼田町字真布にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅(廃駅)でした。
以下、本駅の歴史を紹介します。
・1956(昭和31)年7月に日本国有鉄道留萌本線の石狩沼田駅から恵比島駅間に「真布仮乗降場」として旅客のみの取り扱いで新設開業しました。
・1987(昭和62)年4月に国鉄分割民営化によりJR北海道に継承され、「真布駅」となりました。
・2023(令和5)年4月に石狩沼田駅から留萌駅間が廃止に伴ない廃駅になりました。
単式ホーム1面1線を有した地上駅(棒線駅)で、開業以無人駅でホームの北側に待合室(外壁は下見板張り、片流れ屋根の建物)がありました。
壁面に手作りによる小さな駅名標が掲示されていました。
トイレはありませんでした。
※ 以下の動画には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
旧恵比島駅
恵比島駅は雨竜郡沼田町字恵比島にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線の駅(廃駅)でした。
以下、本駅の歴史を紹介します。
※ 以下の動画には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
・1910(明治43)年11月に鉄道院留萌線深川駅から留萌駅間開通に伴い一般駅として開業しました。
・1913(大正2)年頃に留萌炭鉱が当鉄道との間に貯炭場(峠下貯炭場)を設け、山本から貯炭場まで蒸気機関車による軽便鉄道を敷設しました。
・1920(大正9)年頃に留萌炭鉱の軽便鉄道・専用線が休止され、1930(昭和5)までに廃止されました。
・1930(昭和5)年7月に留萌鉄道当駅から太刀別駅間が開通し、分岐駅になりました。
・1931(昭和6)年10月に線路名が「留萌本線」に改称されました。
※ 以下の動画には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
・1949(昭和24)年6月に公共事業体:日本国有鉄道に移管されました。
・1954(昭和29)年11月に跨線橋が設置されました。
・1965(昭和40)年9月に駅舎が改築されました。
・1971(昭和46)年に留萌鉄道が廃止されました。
・1984(昭和59)年2月に荷物取扱いが廃止され同時に出札・改札業務が廃止され旅客業務について無人化されました。
※ 以下の動画には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
・1980年代後半に駅舎が改築され貨車駅舎になりました。
・1987(昭和62)年4月に国鉄分割民営化に伴いJR北海道に継承されました。
・1997(平成9)年4月に線路名が「留萌本線」に改称されました。
・2023(令和5)年4月に石狩沼田駅から留萌駅間が廃止に伴ない廃駅になりました。
単式ホーム1面1線を有した地上駅(棒線駅)で無人駅でした。
有人駅時代から駅舎は改築され貨車駅舎となっていました。
※ 以下の動画には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
当駅でテレビドラマ「すずらん」の撮影時に、古い建物へのカムフラージュのために木製板が張られたそのまま使用されていました。
トイレは駅前の「中村旅館」の建物に男女別の水洗トイレがあり外から利用でき、現在も引き続き利用できます。
貨車駅舎の隣の旧駅舎の基礎の上にドラマ用のロケセット「明日萌驛(あしもいえき)」が設置されました。
当駅周辺が観光地化されているため明日萌驛は継続して設置されています。
※ 以下の動画には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
※ ウィキペディアフリー百科事典「 望岳台」「美瑛岳」「美瑛富士」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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