『道南の旅』-函館山ロープウェイ-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「函館山ロープウェイ」(函館市元町19番7号)を紹介します。
(訪問日:2019年(令和元年)7月下旬)
前回では「青函トンネル北の玄関口」、「道の駅 しりうち」、「イカリカイ駐車公園」を訪問し、その時の様子を紹介しました。
予定していた所を周り終えた私は、その夜の車中泊の地と決めていた「道の駅 なないろ・ななえ」に向かいました。
次の日からの訪問地として、いよいよ今回の「道南の旅」の中でもメインといってもいい「函館市内観光」に行く予定でいました。
函館山の観光に際しては、事前の調べで山の麓の函館山ロープウェイ山麓駅の近くに駐車場があることを知っていたのでマイカーで行くことに決めていました。
でも、他の五稜郭などの観光に行く際には土地勘のない私が交通量の多いだろう函館市内をマイカーで走り回るのは非常に不安なので、JRや市電(路面電車)などの公共交通機関を利用してゆっくり見て回ろうと考えていました。
函館観光初日の予定としては、まず函館山ロープウェイで山頂に行き展望台からの眺望を楽しむこと、函館山周辺に散在している函館要塞などの遺構を巡ることでした。
函館山ロープウェイのある函館山は、函館市の市街地西側にある陸繋島(りくけいとう;砂州によって陸地とつながった島)で標高が334m、周囲約9㎞で、牛が寝そべっているような外観から「臥牛山(がぎゅうざん)」とも呼ばれています。
約100万年前に海底火山の噴出物が土台になり、その後の噴火による隆起・沈下を繰り返して島となりました。
孤島だったものが海流などで削られて流出した土砂が堆積して砂州ができ、約5000年前に渡島半島と陸続きの陸繋島になりました。
函館市の中心街はこの砂州の上にあることになりますが、「一つの街ができるほどの大きな大きな砂州なんだ! すごくない?!」と今更ながら思ってしまいました。
※ 以下の動画には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
※ 以下の動画には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
※ 砂で形成された海岸地形『潟湖(せきこ)・砂州(さす)・砂嘴(さし)・陸繋島』について
海岸の直ぐ近くにある流れ・沿岸流は海岸に対して水平に流れ、この方向に砂や土砂を運びます。沿岸流によって運ばれた砂や土砂は同じ所に堆積したことで海岸近くには砂嘴や砂州ができます。
・潟湖は、砂嘴、砂州などによって海の一部が外海と隔てられてできた湖沼。例として、浜名湖(静岡県)など。
・砂嘴は、湾口(わんこう)などに形成される嘴(くちばし)状の地形。例として、野付半島(北海道根室)など。
・砂州は、砂嘴が湾口をふさぐように発達したもの。例として、天橋立(京都)など。
・陸繋島は、砂州によって陸地とつながった島。例として、函館山など。
・陸繋砂州(りくけいさす)は、沿岸に島があると島の裏側は波が穏やかになり沿岸流が運ぶ砂が堆積しやすくなります。陸と島の間に砂が堆積し陸地化したもので、函館市の中心街はこの陸繋砂州の上にできた街です。
車中泊、暗くなると夕食を摂った後は寝るくらいしかすることがないので自然と早寝・早起きになり健康的な毎日を過ごしていました。
その日も午前5時頃に目覚めて早々に洗顔を済ませると、ここ道の駅なないろ・ななえの前を走る国道を挟んで向かいにあるコンビニで朝食とコーヒーの買い出しに行きました(とても便利な道の駅です)。
函館山ロープウェイの始発は午前10時なんですが、ご飯を食べた後は何もすることがなく函館山山麓駅近くの駐車場を目指して出発することにしました。
早朝ということもあり交通量も少なく順調に車を走らせて函館市函館山山麓観光駐車場に着きました。
『 函館要塞(ようさい)について (説明板より)
函館要塞(ようさい)は、明治28(1895)年の日清(にっしん)戦争終結後に、日露(にちろ)戦争を想定し、津軽海峡の防衛強化を目的に明治31(1898)年から、約4年間を費(つい)やして函館山に大小4か所に砲台(ほうだい)が建設されました。
他(ほか)の多くの要塞(ようさい)が軍港を守ることを目的にしたのに対し、函館要塞(ようさい)は商業港である函館港を守るために建設されました。
日露(にちろ)戦争開戦後、津軽海峡(つがるかいきょう)でロシア艦隊(かんたい)が日本の船舶(せんぱく)に損害を与(あた)えましたが、射程外であったため要塞からは一発の砲撃(ほうげき)もされませんでした。しかし、要塞(ようさい)の存在により函館港は攻撃(こうげき)されることはありませんでした。
その後、大砲(たいほう)は撤去(てっきょ)されましたが、大正に入り、米国を仮想敵国とし、海空の攻撃(こうげき)から函館と青森の両港を守り、津軽海峡(つがるかいきょう)における敵艦隊(かんたい)の通航を阻止(そし)するため、津軽要塞(つがるかいきょうようさい)として再整備されましたが、戦闘(せんとう)機を相手とした実戦では役に立たず、函館は空襲(くうしゅう)に遭(あ)い甚大(じんだい)な被害(ひがい)を受けました。
函館要塞(ようさい)建設直後の明治32(1899)年に要塞(ようさい)地帯法が制定され、昭和21(1946)年に開放されるまでの約47年間、函館山への一般(いっぱん)市民の立ち入りは禁止されていました。
函 館 市 』
『 函館山の自然 (説明板より)
函館山は、火山活動や地殻(ちかく)変動により出現し、海流による漂砂(ひょうさ)で亀田(かmrだ)半島とつながった陸繋島(りくけいとう)です。三方が海に囲まれ、標高約334m、周囲9㎞となっており、別名「臥牛山(がぎゅうざん)」とも呼ばれています。
函館山は、道南特有の温暖な気候であることや、昭和20(1945)年まで約半世紀にわたって一般(いっぱん)市民の入山が禁止されていたことなど、植物の生育にとっては恵(めぐ)まれた自然環境(かんきょう)にあったことから、約600種の植物が生育し、その約70%が本州北部地域と同種のものといわれています。
さらに四季を通じて野鳥が生息し、また、津軽海峡(つがるかいきょう)を南下・北上する渡(わた)り鳥の休息地として重要な役割を果たしており、約150種が観察される野鳥の宝庫として、鳥獣(ちょうじゅう)保護区特別保護地区の指定されています。
函 館 市 』
函館市函館山山麓観光駐車場は24時間営業なので着いて直ぐに駐車することができましたが、ロープウェイの始発時刻まで周囲を散策して時間をつぶしました。
※ 函館山はバス(観光バス含む)やタクシー、マイカー・レンタカー等の車両で登山ができますが、マイカー・レンタカーについては、渋滞・混雑の緩和のため17時~22時の間、通行が規制されています。
函館山観光には「体力と時間の節約?とせっかくの機会なので1回は乗りたかった」ので、上りは「函館山ロープウェイ」を利用させてもらい、下りは途中の所々にある史跡などに立ち寄りながら下りて来ようと思っていました。
函館山ロープウェイ(函館市元町19-7)は、函館山の山麓駅と山頂駅の間を3分で結んでいて、現在のゴンドラは5代目・定員125名となっています。
『 日時計(ひどけい) 太陽は私たちに「時」を教えてくれました (説明板より)
太陽は見かけ上、東から西に動きます。地面に棒を立てると、そこには規則正しい動きで影ができます。
人間は大むかし、この影に目盛りをつけて「日時計」を作りました。太陽がつくる影の原理は、現代に
おいても「時刻制度の原点」として使われています。
ここの「日時計」は、科学的に正しい5分刻みの天文時計だと言えます。
◇時差表 函館は、兵庫県明石市(統計35度)よりも東のため
影の時刻(真太陽時)は、標準時よりも進んでます。
日時計の影の時刻から、今日の分秒数を引くと「日本標準時」になります。
◇地球儀 地球儀は地軸と並行に取り付けてあります。
今日の太陽は、地球儀に見られるのと同様に地球を照らしています。
世界各地の朝・昼・夜の移りや北半球・南半球の白夜・極夜の現象などがわかります。
この地球儀は地球の10の24乗分の1の大きさです。
設置・2008年6月 日時計作家 小原輝子 』
『 トーマス・ライト・ブラキストンについて (説明板より)
(Thomas Wright Blakiston)
ブラキストンは、1832年イギリスに生まれ、文久3(1863)年に日本での事業をおこすために来函(らいかん)し、事業を継続(けいぞく)しながら鳥類を捕獲(ほかく)・研究、気象観測も行いました。
明治12(1879)年には、函館滞在(たいざい)中に道内で捕獲(ほかく)した鳥獣標本を開拓使(かいたくし)函館支庁仮博物館(現在の市立函館博物館)に寄贈(きぞう)ています。この標本は、現在北海道大学植物園・博物館に所蔵されています。
明治16(1883)年、本州と北海道の動物の著(いちじる)しい違(ちが)いがあることを、アジア協会報に発表して注目され、津軽海峡(つがるかいきょう)が「ブラキストン・ライン」と呼ばれるようになりました。
函 館 市 』
1958(昭和33)年に31人乗りロープウェイとして開業し、1970(昭和45)年45人乗りゴンドラ(2代目)、1988(昭和63)年125人の路ゴンドラ(3代目:当時、日本最大の定員)、1997(平成9)年オーストリア製125人乗りゴンドラ(4代目)、2014(平成26)に現在のゴンドラになりました。
また、1959(昭和34)年には山頂展望台と食堂・売店が開設され、2015(平成27)年には山麓駅・山頂駅の改修が完了し新装開業されました。
『 津軽要塞と函館山の植物 (説明板から)
●津軽要塞跡
明治30(1897)年、函館山で要塞工事が始まり、32年11月函館要塞として完成したが、昭和2(1927)年4月に津軽要塞と改称された。
敷地は保安林も含め御殿山、薬師山、千畳敷、谷地頭付近の約16万坪が陸軍省の所管となり、昭和21(1946)年5月の開放までは、一般市民の立ち入りはもちろん、写生、撮影ならびに測量などが一切禁止された。
現在も函館山の各所に地下壕跡などが残されている。
●函館山の植物
函館山は、その山容が標高わずか334m、周囲約9㎞の小さい山でありながら、地形が複雑多岐であり、植物の生育環境が多様であることから、植物種は極めて多く、北方系と南方系が混生しており、その数は600種余りと言われ、正に自然が造りあげた植物園である。自然林もあることながら、箱館奉行や開拓使によって植林されたスギやマツの群生が見られる。また、道路沿いや裸地に目立つセイヨウタンポポなどは、明治初期に移入されたものであるが、このような帰化植物は30数種類あると言われている。これらの豊富な植物は、要塞が築かれてから50年近くも入山禁止となったために自然が守られ、保護された結果であろう。
ここはまた鳥類の楽園としても知られている。津軽海峡が動物分布上の境界線をなすことを発見した。英国人ブラキストンは、函館山の鳥類を調べてこの境界線(ブラキストンライン)を発表した。現在、留鳥と渡り鳥を合わせて約150種が見られる。
函 館 市 』
『 函 館 山 (説明板より)
函館山は、幾たびもの火山活動により海中に隆起した孤島であったが、約3000年位前に、海水により港側と外海側から次第に砂が堆積されて砂州(さす)ができ、函館山は渡島(おしま)半島と陸つづきになった。函館の中心街はこの砂州の上にある。
函館山の地質は、約2500万年前に噴出した安山岩で、五稜郭や弁天台場などの工事にこの山の石を用いた。
函館山の最高峰は、ここ御殿山(ごてんやま)で標高334mあり、このほか、薬師山(やくしやま)、観音山(かんのんやま)、千畳敷(せんじょうじき)、倉掛山(くらかけやま)などがあるが、この山の形が牛の臥(ふ)している姿に似ているので、別名臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれている。
山頂からは、扇状にひろがる市街地、遠く駒ケ岳、汐首岬も望まれ、晴れた日は、本州の下北半島も見られるが、特に市街地の夜景は世界一といわれる美しさである。
函館山の右手、西単には、異郷の地で永遠に眠る外国人の墓、外国人墓地があり、左手、東端には薄幸の詩人石川啄木とその一族が眠る立待岬があるほか、山麓には数多くの名所、旧跡が散在している。
展望台壁面には、完成2年(1800年)5月28日、伊能忠敬(いのうただたか)が北海道最初に測量したことを記念したレリーフがあり、また、前方には、ブラキストンラインで有名なブラキストンの記念碑もあるなど、学術的にも貴重な山である。
函 館 市 』
1992(平成4)年に日本初のコミュニティ放送局「FMいるか」が開局しましたが、2015(平成27)年に放送スタジオと事務所機能が「いるか807ビル」から「函館山ロープウェイ山麓駅」に移転されました。
私は山麓駅1階の券売機でチケットを購入し、3階のチケットゲートを経てロープウェイ乗り場へ進み、早々ゴンドラに乗り込みました。
全面に大きなガラス窓のあるゴンドラからの視界は素晴らしく、高度が上がって行くにしたがって山頂展望台からの眺めとはまた違った山麓の町並や津軽海峡、函館湾などの眺望を楽しむことができました。
山麓駅からトップスピード秒速7mで海抜334mの山頂駅までたったの3分間ほどの行程で「…何かあっけなかった、もっと眺めを楽しみたかったな!」という感じがしました。
ゴンドラを降り山頂駅1階に入って行き、何はさておき「まずは100万ドルの夜景?!ならぬ晴天の下の眺望を!」と早々に2階から3階、そして最上階へ階段を上って屋上展望台へ向かいました。
屋上展望台で画像や動画を撮りながら、眼下に広がる眺望をゆっくりと堪能した後、駅内の様子を窺いながら3階から2階へと降りて行きました。
2階にはショップやレストラン、イベントホールなどがありますが、私は「山頂広場」へ向かい屋上展望台からのそれとはまた違った眺望を楽しみました。
その後、山頂広場から1階へ下りて屋内ラウンジなどを見ながら漁火公園へ行きました。
この漁火公園から見える眺望は屋上よりも低い所にあるので「街並みなどが近い感じがする」わけで屋上からの眺望とそんなに変わらないらしいのです。
ところが、観光客の皆さんは屋上展望台へと詰めかけるのですごく混んでいて、逆にここは人影がいつも疎らなので「写真撮影の穴場」なんだそうです。
「100万ドルの夜景」と称されるほどの夜景で、「日本三大夜景」(神戸市の摩耶山、長崎市の稲佐山)さらには「世界三大夜景」(香港、ナポリ)にも数えられるほどの超すばらしい「扇状に広がる市街地に無数の灯りがともる、まるで宝石を散りばめたような夜景」を一目見たいと思うのは「人情」なのでしょう。
私は「暗い夜にまで人で混雑した中を出歩くのは気が進まない」ので、そのすばらしい夜景を見たいとは思いませんでした。
『 函館山と人(倉山 卯之助(くらやま うのすけ)) (説明板より)
函館山の樹木は、伐採(ばっさい)と植林を繰(く)り返しといわれています。
松前藩(はん)時代、北海道では樹木は薪(まき)やニシンを加工するための燃料として、また藩(はん)の貴重な収入源として伐採されたため、函館山は木がほとんどなくなってしまいました。
現在の豊かな森は、寛政(かんせい)11(1799)年に蝦夷(えぞ)地が幕府の直轄(ちょっかつ)地となり、享和(きょうわ)元(1801)年にここを巡視(じゅんし)した幕府の役人が、「箱館(はこだて)管内の山は、海岸から一里余りは大体はげ山になってしまっていることから、木を伐採(ばっさい)する時は植林の義務を課せるなどの、伐採(ばっさい)法を定めて取り締(し)まりを厳重にしなければならない。」と報告したことに始まり、江戸(えど)後期、七重(ななえ)村(現在の七重(ななえ)町)の百姓(ひゃくしょう)「倉山卯之助(くらやまうのすけ)」により、育成した苗木(なえぎ)を函館山に移植したことが、スギ人工林の始まりとされています。
函 館 市 』
『 函館山と人 《菅原 繁蔵(すがわら しげぞう)》 (説明板より)
植物学者「菅原繁蔵(すがわらしげぞう)」は、大正末期から昭和30年代に、北日本の植物について調査研究し、膨大(ぼうだい)な採集標本を基(もと)に数多くの研究資料と文献(ぶんけん)を残しています。
昭和27(1952)年、北海道学芸大学函館分校(現在の北海道教育大学函館校)に講師として招かれ、昭和34(1959)年郷里山形県の戻(もど)るまでの約7年間、函館山を含(ふく)む各地の植物調査を行い、「箱館山植物誌」を刊行しています。
同誌は、函館山の植物について初めての調査資料であり、約600種を超(こ)える植物が報告されています。
また、そのなかで、函館山の植物相とその植生がもつ特質とその貴重さについて、「函館山は北方唯一(ゆいいつ)の自然公園であり、全道一の貴重なる戸外文化財として、これを保護し、学術研究・科学振興の淵源(えんげん)たらしむべく努力するは、我ら市民の責務であり、子孫へ伝う遺産である。」と述べています。
函 館 市 』
『 函 館 山 の 地 質 (説明板より)
函館山は、おおよそ100万年前に活動していた火山で、溶岩(ようがん)などの火山噴出(ふんしゅつ)物が積み重なってできています。
すでに活動していた頃(ころ)の姿は残っていませんが、旧登山道や尾根(おね)の一部、海岸の切り立った崖(がけ)などに見られる岩石にその(あと)を見ることができます。
函館山をつくる火山岩は、最初に噴出(ふんしゅつ)した立待岬溶岩(たちまちみさきようがん)、その次に堆積(たいせき)した千畳敷集塊岩(せんじょうじきしゅうかいがん)、さらに溶岩(ようがん)の噴出(ふんしゅつ)によって形成された高龍寺山溶岩(こうりゅうじやまようがん)、最後の噴火(ふんか)により流し出された千畳敷集塊岩(せんじょうじきしゅうかいがん)と御殿山溶岩(ごてんやまようがん)に区分されていて、いずれもデイサイト(流紋(りゅうもん)岩と安山岩の中間の岩石)から安山岩質のものです。
函 館 市 』
『 函館山と砂州(さす)および海岸段丘(だんきゅう) (説明板より)
函館山は、おおよそ4000年前頃(ころ)には離(はな)れ小島でした。その後、函館湾(わんと津軽海峡(つがるかいきょう)から砂が運ばれて堆積(たいせき)し、対岸の陸地と陸続きになりました。
このようにして陸続きになった島のことを「陸繋島(りくけいとう)」といいます。この部分は函館市内でも最も柔(やわ)らかい地盤(じばん)の地域です。
砂州(さす)ができる以前からあった対岸の陸地は、ひとつづきのように見えますが、おおよそ3段の雛壇(ひなだん)のように分かれています。この地形は「海岸段丘(だんきゅう)」と呼ばれるものです。
髙い段ほど歴史が古く、深い谷が刻まれています。また、高い段と低い段の間の崖(がけ)には、草木が茂(しげ)り、鮮(あざ)やかな緑のラインとしてこの展望台からも望むことができます。
函 館 市 』
日中の函館山からの眺望も青い空に海、扇状に広がる稀有な形の市街地などの眺望もとても美しくすばらしいと思いました。
函館山ロープウェイ山頂駅付近からの眺望を十分に堪能した私は、次にこの函館山のあちこちに点在している函館要塞など歴史的な遺構巡りへ向かうことにしました。
※ 函館市公式観光サイトはこぶら「函館山ロープウェイ」、フリー百科事典ウィキペディ「函館山ロープウェイ株式会社」・「函館山」・「函館山テレビ・FM放送所」・「陸繋島」・「ラグーン(潟湖」)「砂嘴」・「砂州」、一般財団法人 函館市住宅都市施設公社サイト「函館山緑地」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
イカリカイ駐車公園、他 ⇦⇦⇦ 今 回 ⇨⇨⇨ 函館山探訪その1
※青字部分をクリックすると、そのページが表示されます。
※これまで掲載した記事をご覧いただくには、「ホーム」ページの「インデックス」をご利用ください。