『旅・徒然に』-道の駅 なないろ・ななえ、他-

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道の駅なないろ・ななえ こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。

 今回は、「道の駅 なないろ・ななえ、他」(亀田郡七飯町字峠下280-2)を紹介します。

       (訪問日:2022年(令和4年)5月中旬)

   道の駅 なないろ・ななえ

 函館市内の観光や駒ヶ岳・横津岳など道南の山々へ登山する際などに何度か利用させてもらっているのがこの「道の駅 なないろ・ななえ」です。

 

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道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

 札幌方面から大沼トンネルを抜けてすぐの国道5号線沿いにあり駐車スペースも大へん広く、その国道を挟んで向かい側にはコンビニもありますので、買い物をするにも便利で車中泊をするには持って来いの場所です。

道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

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 旅行コミュニティサイト・トリップアドバイザー「旅好きが選ぶ!日本人に人気の道の駅ランキング2020」で全国4位、道内で1位に選ばれたこともあるそうです。

道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

 道の駅ですから24時間利用可能な清潔なトイレはもちろんですが、他にもセブンスリビング、峠下テラス、農産品直売コーナー、物産コーナー、地域交流スペース、キッズスペースなどがあります。

道の駅なないろ・ななえ         道の駅なないろ・ななえ

道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

 道の駅の他に私の一押しで、行きつけ(なないろ・ななえに宿泊した時には)の?温泉があります。

 それは、温泉宿「ニヤマ温泉 あじさいの湯」(七飯町仁山670)です。

道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

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道の駅なないろ・ななえ 道の駅なないろ・ななえ

 JR北海道「仁山駅」のすぐそばにあり、仁山高原にある歴史を感じさせる古い建物ですが素朴でのどかな雰囲気の温泉宿で利用料金も町場の銭湯並みの料金で入浴できました

   明治天皇蓴菜沼小休所

 道南の目ぼしい観光地を巡り終えて帰路についた私は、森町方面へ向かって小沼湖畔沿いの西側を走る国道5号線を北上していました。

 ジュンサイ沼の手前辺りに通りかかった時に道路の左手に建っている石碑が一瞬目に入りました。

 「こんな所に何だろう…?」と思いながらもやり過ごそうとしたんですが、何か気になっってしまって車を停め引き返しました。

明治天皇蓴菜沼小休所     明治天皇蓴菜沼小休所

明治天皇蓴菜沼小休所 明治天皇蓴菜沼小休所

『   明治天皇蓴采沼小休所     (説明板より)

明治5年(1872)、無沢峠が開削されて蓴采沼湖畔を通る札幌本道が完成すると、七重村に入植していた八王子千人同心の一人、宮崎重兵衛がこの地に旅館を建てた。名勝地として知られるようになると、他に外人旅館と呼ばれた萍水館などができ、皇族や外国人の来遊で賑わいを見せていた。
宮崎旅館は、明治19年(1881)9月6日、明治天皇の北海道巡幸の際に小休所に当てられ、重兵衛は沼のコイやジュンサイを天覧に供した。
明治36年(1903)に鉄道の開通とともに観光客の入り込みは大沼に移り、今や往時を偲ばせるものはイチイの大樹と湖畔にある御膳水の泉だけである。
      平成4年10年
                七飯町教育委員会   』

明治天皇蓴菜沼小休所     明治天皇蓴菜沼小休所

『   イザベラ・バードが歩いた道

 1878(明治11)年8月17日、函館を出発したイザベラ・バードは、札幌本道を北上しながら七重村・峠下村を経て、その日の夕方に蓴采沼に到着しました。ここは当時、開拓使高官がよく利用した「宮崎旅館」があり、バードもここに滞在したと考えられます。旅館から眺める色に満ちた世界と自然が奏でる音に囲まれ、旅の疲れを癒したことが、バードの著書『日本奥地紀行』にも綴られています。

 ~明治初期 蓴采沼(小沼)の景~『日本奥地紀行』
 私はさびしい湖の上にほとんど突き出して造られた家の二階から外に身体を出して座っている。湖は沈んでゆく夕日の中で森の茂った岬を紫色にs、静かな影の色を深めている。多くの男たちが近くの山腹から、槍で倒したばかりの熊の死骸を引き摺り下ろしている。村というものはなく、忙しそうな蝉の鳴き声や、森を通る風の音だけが、この静かな夕方の空中に漂っている音のすべてである。夕日の色は桃色と緑色である。彩られた水面には、大きな睡蓮が青白い花の萼を横たえている。森の茂った山々の上に、駒(コモノ)ガ岳(タキ)火山の鋭くぎざぎざの、ほとんど裸の山頂が夕日に赤く映えている。この夕方の少なからぬ魅力は、…まったく私一人でいることである。

イザベラ。バード(Isabella L,Bird:1831- 1904)英国生れ。当時47歳
 イザベラ・バード(Isabella L.Bird)は、1878(明治11)年に北海道を初めて女性一人で旅した英国人旅行家。彼女は、その類希な旅行記『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks in Japan,1885)によって、まだほとんど知られていなかった北海道と東北地方を世界に紹介しました。特に、日本の先住民族として古くからの文化と伝統を守り、外国人にも分け隔てない思いやりを示したアイヌ民族を高く評価していました。
 「イザベラ・バードの道を辿る会」では、この優れた女性旅行家による函館から平取までの足跡を辿って、彼女の歩いた道を新たにフットパスとして、その価値を再発見し、多くの人たちに歩いてもらいたいと考えています。   

 戻って確認すると、石碑「明治天皇蓴菜沼御小休所」、説明板「明治天皇蓴菜沼御小休所」、説明板「イザベラ・バードが歩いた道」がありました。

 そこは、「明治天皇蓴菜沼小休所(メイジテンノウジュンサイヌマショウキュウショ)」でした。

※ イザベラ・バード・・・1831(天保2)年~1904(明治37)年、19世紀の大英帝国の旅行家、探検家、紀行作家、写真家、ナチュラリスト。女性として最初に英国地理学会特別会員に選出される。女性旅行家として世界中を旅し、1878(明治11)年6~9月に東京から新潟県、北海道に至る北日本を旅し、その後神戸・京都・伊勢・大阪を訪ねている。

※ ウィキペディアフリー百科事典「 道の駅 なないろ・ななえ」・「イザベラ・バード・ビショップ」、株式会社アクセス・サイト『はこなび』「ニヤマ温泉 あじさいの湯」、一般社団法人 七飯町振興公社サイト「道の駅 なないろ・ななえ」、北海道地区「道の駅」連絡会事務局サイト「道の駅 なないろ・ななえ」を参考にさせて頂きました

 ご訪問頂きありがとうございました。

 

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