『北海道開拓の村』-旧浦河公会会堂-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「旧浦河公会会堂(きゅううらかわこうかいかいどう)」を紹介します。
(訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)
前回紹介しました「旧武岡商店」を後にして、隣りにある「旧浦河公会会堂 」へ向かいました。
旧浦河公会会堂は旧浦河組合基督教会として1894年(明治27年)に建築された木造平屋建て、一部2階の建物です。
『 旧浦河公会会堂 (説明板より)
明治13年(1880)、神戸において北海道開拓会社「赤心社(せきしんしゃ)」が設立され、良く4年から西舎村や荻伏村に結社移民として入植した。
「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で、明治19年(1886)に「浦河公会」が組織された。この会堂は、17年の日曜学校兼会堂に次ぐ、2代目の礼拝・集会所である。 』
『 旧浦河公会会堂 (説明板より)
会堂内は礼拝堂、中2階に分かれている。礼拝堂には、日曜になると農作業の手を休めたキリスト教信者達が祈りのために集まった。また、普通の日には子弟の教育の場としても使われていた。
中2階は物置として使用されていたが、クリスマスなど礼拝堂者が多い時には長椅子が置かれていた。
ここでは、明治末期の開拓者たちが精神的な支えの場とした会堂内部を再現している。 』
『 赤心社と浦河公会会堂 (説明板より)
赤心社は、明治13年(1880)岡山県人加藤清徳や兵庫県士族鈴木清とその有志によって設立された会社で、北海道開拓の団体移住が目的であった。明治14年(1881)5月に旧浦河村の西舎に1回目の入植、翌15年5月には旧荻伏村に2回目の団体移住がなされ、この地域の本格的な開拓が始まった。赤心社の指導者達は熱心なキリスト教徒であったため、明治19年(1886)開拓移民の精神的支えの場として浦河公会会堂を建設した。初代牧師は田中助であった。 』
『 私立赤心学校 (説明板より)
開拓地での人々にとって最大の苦痛は、教育施設と精神修養の場がないことであった。
赤心社の人々は、日曜日の午前中に一箇所にあつまり、修養のためにキリスト教講話を聴くのがきまりとなっていた。人々は集会と子弟の教育のために、明治17年(1884)、学校兼会堂を建て寺子屋式の教育を始めた。間もなく官許を得て私立赤心社学校となったが、明治24年 (1891)に公立荻伏小学校が開校した時に廃止された。 』
北海道開拓を目的に設立された赤心社により北海道浦河郡荻伏村(現在の浦河町)に礼拝・集会所として建てられました。
赤心社の指導者の多くはキリスト教徒で、1886年(明治19年)に浦河公会が組織されました。
1985年(昭和60年)に北海道開拓の村へ移築復元されました。
※ 「北海道開拓の村ホームページ 『旧浦河公会会堂』」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
※青字部分をクリックすると、そのページが表示されます。
※これまで掲載した記事をご覧いただくには、「ホーム」ページの「インデックス」をご利用ください。