『道東の旅Ⅲ』-北斗遺跡-

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北斗遺跡 こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。

 今回は、「北斗遺跡(ほくといせき)」を紹介します。

        (訪問日:2019年(令和元年)9月下旬)

 前回紹介しました「道の駅 丹頂の里」で一夜を過ごした私は、いつものように早き起き(そんなつもりは全然ないのですが、歳のせいもあってなのでしょうか寝てられません)、洗面をササっと済ませました。

北斗遺跡へ 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

 道の駅丹頂の里周辺には「阿寒国際ツルセンター」や「釧路湿原美術館」など見所もあるのですが、何せ朝早い時間ですのでどこもまだ閉館中です。

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

 開館時間まで待つというのもまだ何時間もありますし、他に行きたい所もたくさんある中で時間がもったいないので、今回もそうした施設見学はパスして先を急ぎました。

 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

 そういう訳で施設関係はまだ開いていない時間ですので、屋外にあるものなら見学できるだろうということで、次は「釧路湿原展望台」の手前にある「北斗遺跡」へ向かうことにしました。

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

 国道240号から釧路新道へ入り東へ向かい、そして道道53号に合流すると北上し鶴居村方面に向かいました。

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

 およそ10㎞程進むと、右手に「北斗遺跡」の案内標識と「北斗遺跡展示館」の建物が見えてきました。

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡展望台へ

 「北斗遺跡展示館」は早い時間なので閉館していましたので駐車場に車を停め、遺跡の方へ歩いて行くことにしました。

 北斗遺跡は、旧跡時代から縄文・続縄文時代から擦文時代までの重複遺跡です。

北斗遺跡 北斗遺跡

北斗遺跡        北斗遺跡

北斗遺跡 北斗遺跡展望台

 釧路湿原の西側にあり標高20m程の台地の上に東西に2500m、南北に500mに渡って縄文・続縄文時代の浅い円形・楕円形竪穴や擦文時代の四角形竪穴がくぼんだ状態で多く残されています。

 1977年(昭和52年)7月に東側の約233㎡が国指定史跡に指定されました。

北斗遺跡展望台 北斗遺跡展望台

北斗遺跡展望台 北斗遺跡展望台

北斗遺跡展望台 北斗遺跡展望台

※ 縄文時代(じょうもんじだい)・・・世界史の中石器時代ないし新石器時代に相当し、日本史に固有の時代区分だそうです。土器と弓矢の使用、磨製石器(ませいせっき:砂と石あるいは石と石をすり合わせる等して表面が滑らかに加工された石器)の発達、定住化と竪穴式住居の普及、貝塚の形成、最終経済などが特徴です。

北斗遺跡展望台から 北斗遺跡展望台から

北斗遺跡展望台から 北斗遺跡展望台から

※ 続縄文時代(ぞくじょうもんじだい)・・・北海道を中心に紀元前3世紀頃から紀元後7世紀(弥生時代から古墳時代)にかけて擦文文化が現れるまで続いた時代です。本州では水稲栽培を取り入れて弥生時代に移行したときに、気候的条件から水田を作らず縄文時代の生活様式を継承し営んだ文化の時代です。竪穴式住居に住み狩猟と漁労を中心に採集と原始的栽培も行われていました。

※ 擦文時代(さつもんじだい)・・・北海道の歴史の中で7世紀頃から13世紀頃(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて擦文文化が栄えた時代区分です。土器の特徴は、縄文時代のそれは縄目の模様ですが、擦文時代は木のへらでこすったような刷毛目(はけめ)様の擦った文様が土器につけられています。擦文土器の表面調整技法は同時期の本州の土師器(はじき)にも使用されていて、土師器(はじき)からの影響もうかがえます。この時代の集落は狩猟や採集に適した住居の構え方をしていました。方形の竪穴式住居に住み、狩猟期には河口の丘陵上に、他の時期には川の中流や奥地に集落を作っていました。鉄器も普及しはじめしだいに石器が作られなくなりました。

※ ウィキペディア・フリー百科事典「北斗遺跡」・「擦文時代」、「釧路市ホームページ・サイト「『釧路市北斗遺跡ふるさと歴史の広場』」を参考にさせて頂きました。

 ご訪問頂きありがとうございました。

 

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