『小樽散歩』-小樽市総合博物館・屋外展示①-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、前回に引き続き「小樽市総合博物館」(小樽市手宮1丁目)を紹介します。
小樽市総合博物館は、「旧小樽交通記念館」に「小樽市博物館」と「小樽市青少年科学技術館」を統合して平成19年(2007年)7月に開館した施設です。
今回は、本館建物のすぐ傍に屋外展示してある列車などを紹介していきます。
国鉄C55形蒸気機関車
日本国有鉄道(国鉄)の前身の鉄道省が設計した中型テンダー式蒸気機関車の一つで、愛称は「シゴゴ」です。
1935年(昭和10年)に製造が開始され、3次(3種)に分けて合計62両が製造されました(C5550は、1937年・3次形で22両製造)。
C51形やC54形と同様のスポーク動輪(ドイツ国鉄制式機で採用されていた)ですが、本形式では俗に「水かき」と呼ばれる補強付きのスポーク動輪が採用されました。
それ以後の設計からはアメリカ流のボックス型動輪(D51形やC57形など)が採用されたので、日本の本線用大型蒸気機関車として最後のスポーク動輪採用形式となりました。
当時世界的な傾向として鉄道車両や自動車の「流線形ブーム」が起こっていました。そのため、本形式2次車(1936年製)21両は流線形デザインで新造されました。
ボイラー全体にケーシングを被せ、前部デッキからランボード、運転台までの足回りをスカートとケーシングで覆った構造でした。
美観と共に空気抵抗を減らす等の意図もあったようですが、その効果には懐疑的であり、整備点検に手間がかかる等の問題点が指摘されました。戦時中には、スカートやケーシングの大半が撤去されてしまいました。
戦後になると、流線形機は流線形ケーシングが完全に撤去され1次車と同様の外観になるように再整備が行われました。
再整備後の方が「美しい」という評もあったそうですが、私は流線形をした蒸気機関車の姿を見てみたいと思いました。
国鉄ED76形電気機関車
ED76形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)が1965年(昭和40年)から製造した交流用電気機関車です。
九州地方の電化延長に際しED72形・ED73形の増備用として開発されました。
1968年(昭和43年)には北海道地区の電化開業用として500番台が開発され、1969年(昭和44年)にかけて22両(501~522号機)が製造されました。
函館本線の小樽―旭川間での貨物や客車列車の牽引を行いました。国鉄分割民営化を前に半数近くが廃車され、500番台16両がJR北海道に承継されました。
客車列車の電車化が進み運用が減少したため、1994年(平成6年)までに551号機に改造された(青函トンネルの旅客列車増発のため)514号機を残して全車が廃車になりました。
保存機としては、ここ小樽市総合博物館のED76形509号機、他には三笠市三笠鉄道村にED505号機があります。
国鉄キハ80系気動車・特急「北海」
昭和40年代に入り、青函連絡船1便に接続する特急「おおぞら」だけでは慢性的な混雑列車となっていました。
そのため、続行列車として1967年(昭和42年)に登場したのがこの「北海」です。夏季には網走駅まで延長運転されることもありました。
車両はキハ80系でしたが、その後キハ183系が量産され始めると「北海」にも充当されるようになりました。
1981年(昭和56年)には箱館―札幌間に運転区間が短縮され、1986年(昭和61年)に廃止になりました。
ご訪問頂きありがとうございました。
※ ウィキペディアフリー百科事典「国鉄C55型蒸気機関車」、「国鉄ED76形電気機関車」、「国鉄キハ80系気動車・特急「北海」」を参考にさせて頂きました。
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