『道北の旅Ⅰ』-北海道命名の地-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「北海道命名の地」です。
愛くるしいヤギさんにお別れし寿公園を後にしました。幌加内町にある朱鞠内湖へ向かうために国道275号線から道道785号線に入りました。
途中で、大きくて見るからに値段が高そうなトラクターの後ろに着きました。
馬力と機能、それと断トツ価格では負けますが、なんぼ何でもスピードでは勝てます!?(農業用トラクター制限速度が35㎞/h以下だったとしたらの話ですが…)。
スポーツカーなら快適なワインディングロードでも、重くて非力な我が愛車には悪路以外の何物でもありません。
愛の鞭を入れ、エンジンをうならせながら否応なくゆっくりと車窓からの風景を楽しみながら走りました。
山頂に近づいてきたのでしょうか?傾斜が緩くなってきたと思っていたら、札幌の手稲山みたいにニョキニョキとアンテナが林立している光景が見えてきました。
帰ってから調べたのですが、そこは知駒(しりこま)岳にある「知駒中継局」というテレビやFMラジオの電波を中継する施設でした。
因みに道東の標津町辺りの海岸沿いの道路を走っていて、AMカーラジオで聞こえてくるのはNHKラジオの番組だけ。車を脇に停めて、いつも聞いている民放ラジオ局を探しましたが聞くことはできませんでした。
道は道道785号線から道道583号線に入り南に向かいます。そして、幌延町問寒別(ほろのべちょうといかんべつ)辺りで道道541号線に入って宗谷本線の線路に沿うようにさらに南下します。
中川町佐久(さく)で天塩川に架かる橋を渡り、国道40号線に入り今度は東へ向かいます。途中、「神路渓谷(かみじけいこく)」を過ぎ数キロ進んだあたりに「松浦武四郎 北海道命名の地」という標識が目に入りました。
「松浦武四郎」氏の名前は、北海道の開拓の歴史にたびたび登場していますし、松浦氏にまつわる石碑等も道内各地に散在しています。さらに、「命名の地」という文言に魅かれ行ってみることにしました。
『安静四年、武四郎はアイヌの人達と共に天塩川を探査し「天塩川日誌」として書き残しました。
天塩川探査の帰途中、オニサッペ(筬島(おさしま)の鬼刺川付近)で、故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。
アイヌの通称である「カイナ」の『カイ』とは、この国に 産まれた者ということで、『ナ』とは、貴人をさす尊敬の 言葉である。
これを聞いた武四郎は、「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、アイヌはひげが長いところから、蝦夷(かい)の字を用いたが、もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊(かい)のことである。」と考えました。
明治二年七月十七日、武四郎は道名に関する意見書を提出。候補に、日高見道(ひたかみどう)・北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道・東北道・千島道の六道を提示、この中から「北加伊道」が採用され、「加伊」の字に北方の海に通じる「海」をあて、「北海道」名が誕生しました。
現在の「北海道」の名は、まさにこの地でアエトモ長老と出会ったことから生まれたのです。』
~北海道の命名の発想~より
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