『JR留萌本線の駅を訪ねて』 ー北一已駅ー
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今回は、深川市にある『北一已駅(きたいちやんえき)』を紹介します。駅名の由来は、アイヌ語の『イ・チャン』に由来するそうです。意味は、サケやマスが瀬につき川底に産卵する場所の意味です。1955年(昭和30年)に留萌本線深川駅と秩父別駅の間に新設開業しました。
ここで少し『深川市』の紹介をさせて頂きます。深川市は石狩平野の最北部に位置し、南部以外を山に囲まれた地形です。市中心部を東西に石狩川が流れ、その周辺に水田が広がっています。北部の山間部には雨竜側も流れています。北空知の交通の要衝で、多くの鉄道・道路が集積(留萌本線・函館本線、国道12号・233号・275号、他に13路線の道道)しています。
明治22年に『上川道路』(現国道12号(札幌ー旭川間);以前紹介しました月形町の『樺戸集治監』の囚人らの手によって造られた道路)が開通した年に深川市の開拓も始まりました。大正7年に深川村が町制を施行、昭和38年に深川町・一已村・納内村・音江村が合併し深川市となりました。
今でこそ深川市は道内有数の稲作地帯で、マツコデラックスのCMでお馴染みの『ふっくりんこ』や『ななつぼし』等の産地ともなっています。しかし明治の頃、北海道開拓のために入植した屯田兵達は、寒冷な気候のために上手く育たなかったり、水害で流されたり、干ばつで枯れてしまったりで入植以来粟や麦等を食べざるを得ませんでした。その頃の北海道は畑作が中心でした。
そんな中で、1892年(明治25年)に深川の音江で稲を植えたところ上手く育ちました。さらに、1896年(明治29年)には一已の屯田兵が稲の栽培に成功したのでした。そこで本格的に稲作を始めるために石狩川から用水路を引くことになりました。納内地区や一已地区の人々は大工事を行い用水路ができ畑が水田へと変わって行きました。そんな人々の長年の苦労と努力が実り、やがて秋には稲穂が一面に広がる素晴らしい眺めとなったそうです。
深川市の開拓時代の歴史に大きく関わってきた一つの地区が『北一已駅』のある一已地区でした。
尚、詳しくは『北海道深川市のホームページ』をご覧ください。
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