『旅・徒然に』-金比羅神社-

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金毘羅神社 こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。

 今回は、「金毘羅神社(こんぴらじんじゃ)」(初山別村字豊岬)を紹介します。

       (訪問日:2020年(令和2年)7月下旬)

 金毘羅神社は、初山別村の「道の駅ロマン街道しょさんべつ」や「御崎センター」がある「みさき台公園」の崖の下の浜辺にあります。

金毘羅神社へ         金毘羅神社へ

 みさき台公園から海岸へ下りていく道路を行くと、豊岬(とよさき)漁港や金毘羅神社(入口に駐車場もあります)があります。

金毘羅神社 金毘羅神社

 みさき台公園から海岸へ下りて金毘羅神社の入口に直通する階段もありますが、けっこうな標高差(約40m)があり足腰のいい鍛錬になりそうです。

金毘羅神社 金毘羅神社

 その高台からは天気と運が良ければ、天売島や焼尻島、利尻島までも見られるとのことです。

豊岬漁港 豊岬漁港

 私は以前、その特徴的な建物の形に魅かれてみさき台公園内にある「日本最北の初山別天文台」に立ち寄ったことがありました。

金毘羅神社 金毘羅神社

『   金毘羅岬伝説    (説明板より)
 風連別(現豊岬)沿岸は、昔から鯨・鮭・鱒の好漁業で明治の二十年代初頭には、鯨の群遊もあったことから「鯨とりの岬」とも呼ばれたいました。明治四十年頃のある日、この浜に四国の金毘羅様のお札が流れ着いているのを奥瀬酉松(おくせとりまつ)という漁夫が発見しました。このままにしておいてはもったいなの思い海に戻したところ、翌朝また同じ場所に流れ着いていました。こんなことを幾度か繰り返したがその都度同じ場所に流れ着いたので、何か不思議な縁(えにし)があるに違いないと岩の上に小さな祠(ほこら)を建ててお札を祀(まつり)りました。
 この付近は波浪の高いところで幾度か遭難船もありましたが、お札を祀ってからはほとんどなくなり、いつか誰云うとなくこの岬を「金毘羅岬」と呼ぶようになりました。       』

金毘羅神社 金毘羅神社

『   金毘羅岬伝説    (説明板より)
 大正十五年、奥瀬酉松、他六名の有志が発起人となり御堂を改築した。昭和二十八年九月、漁師たちの寄付金で金毘羅宮を新築した。
 昭和五十六年の初夏、岩田金蔵が大漁祈願の意味を込めて金毘羅の波打ち際に鮮やかな朱色の大鳥居を自費、自作で建立。その年の七月十七日に大鳥居入魂式が行われた。岩田金蔵は、祠を大鳥居の直線沖に網を入れることを考え、翌年八月、大漁の鮪が獲れ三百キロを超える大物も多数あり、かつてない漁獲であったという。
 その後、鮪漁はその年によって増減はあったが、平成五年頃まで続いたという。岩田金蔵は金毘羅様のお陰と感謝していたと伝えられている。
 そして現在も変わらず毎年七月二十日、例大祭が地元漁師により執り行われている。
 初山別村は、文化財保護条例に基づき金毘羅神社並び大鳥居を含む一帯を、平成二十八年七月、有形文化財に指定している。    』

金毘羅神社 金毘羅神社

 その時は、崖の下にあるので公園からは全然見えないため金毘羅神社の存在は夢にも思いませんでした(地図を見ていれば気がついたのかもしれませんが…)。

金毘羅神社 金毘羅神社

 海の上にある鳥居といえば「厳島神社」(広島県)が有名ですが、この金毘羅神社の鳥居も海の上にあり、そのシルエットと夕陽の組み合わせがたまらなく良いビューポイントだそうです。

金毘羅神社・鳥居 金毘羅神社・鳥居

金毘羅神社 金毘羅神社・鳥居

金毘羅神社・鳥居 金毘羅神社・鳥居

豊岬漁港 豊岬漁港

豊岬漁港 豊岬漁港

※ ウィキペディアフリー百科事典「道の駅ロマン街道しょさんべつ」「初山別村役場 ホームページ 」を参考にさせて頂きました。

 ご訪問頂きありがとうございました。

 

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