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旧国鉄月寒駅記念碑 こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。

 今回は、「白石こころーど②」を紹介します。

      (訪問日:2019年(令和元年)6月上旬)

 前回では、「虹の橋」を渡り「白石こころーど」に足を踏み入れ、進んで行くと最初のトンネル「吉田山東(よしだやまひがし)トンネル」に出迎えられました。

 それからは、「からまつトンネル」「みそらトンネル」「星の子トンネル」「フジトンネル」「南栄トンネル」「万生トンネル」「みのるトンネル」と数々あるトンネルをくぐり抜けて行きました。

 ロード端の木陰でハトがたむろして涼んでいる姿を見つけ、それを眺めながらその小さな公園のベンチに腰掛けて一休みすることにしました。

   環状夢の橋まで

 「みのるトンネル」の後もまだまだトンネルは続きます。

 1926年(大正15年)北海道鉄道札幌線が開業した頃、きっとこの辺りはまだまだ田舎で、田畑が広がっている中を黒い姿の蒸気機関車が煙を吹き出しながら疾走していたことでしょう。

環状夢の橋へ 環状夢の橋へ

 進んで行くと、またまたトンネルが見えてきました。

環状夢の橋へ 環状夢の橋へ

南郷南1号トンネル 南郷南1号トンネル

 南郷南1号トンネル

 時は流れ、当時は想像だにしなかった大きな大きな街へと変わっていき、自動車が普及し幹線道路が東西南北に張り巡らされていくにつれてトンネルの数も増えていったのでしょう。

白石・中の島トンネル 白石・中の島トンネル

 白石・中の島トンネル

南郷トンネル 南郷トンネル

 これは珍しい!初めての双子のトンネル? 

 「環状夢の橋」は、長さが179m、幅5mの自転車・歩行者専用の橋として1989年(平成元年)12月に開通式が行われました。

 豊平区側から地下鉄白石駅に向かって眺めると、「円いアーチ」が特徴的です。

南郷トンネル 南郷トンネル

 南郷トンネル、もしかして一方通行のトンネル?

南南郷トンネル 南南郷トンネル

 南南郷トンネル、このトンネルの壁にはしばらく見なかったタイル画が描かれていました。

 この円いアーチ、遠目では橋を支える重要な役目を担っているように見えますが、近づいて行ってよく見ると橋本体とは固定されていないことがわかります。

 ということは「円いアーチは、デザインであり飾りにすぎない」ということになります。

環状夢の橋へ 環状夢の橋へ

 行く手に橋のような構造物が見えてきました。

環状夢の橋へ 環状夢の橋

環状夢の橋 環状夢の橋

 これは間違いなく橋です。橋の下を覗くとそこは「水の流れる川」ではなく、自動車が流れる片側3車線の大きな道路の「環状線」でした。

 面白いことを発見!橋についている橋脚銘板に「1989年12月 門型ラーメン式 高さ7m700 以下 -略- 」と刻まれてありました。

 「門型ラーメン式…?!」、「さすがラーメンの街札幌の橋だ!」と一瞬納得…する訳はありません。

環状夢の橋から環状線道路 環状夢の橋から

環状夢の橋 環状夢の橋

 橋の欄干・柵に付いていた銘板には、「かんじょうゆめのはし」と書いてありました。

 橋の構造形式にあの味噌味などのおいしい「ラーメン」が関係しているなんて…あり得ないと思いました。

 この場合の「ラーメン」は、ドイツ語の「Rahmen」からきていて、日本語では「枠、額縁」の意味だそうで、英語で「フレーム構造」というそうです…納得!!

※ 環状線・・・正確には「北海道道89号札幌環状線」といい、札幌市西区から北区、東区、白石区、豊平区、中央区を通ってくるっと周りまた同じ地点に戻ってくる環状道路です。

※ ラーメン構造とは、柱(はしら)と梁(はり)の接合部を一体化することで、柱と梁のみで外力に抵抗する構造形式だそうです。柱と梁だけで構成する構造形式なので空間を広くとることができる利点があります。詳しくは、「ラーメン構造」でポチっと検索してみて下さい。

   旧国鉄月寒駅

 前出の「白石・中の島トンネル」の手前に「アサヒビール北海道工場」があり、白石こころーどはその敷地の下をくぐり抜けて行くことになります。

 北海道鉄道札幌線が盛んに営業していた頃、もちろんそのビール工場の「ビ」の字もありませんでしたが、そこには「月寒駅」がありました。

旧国鉄月寒駅記念碑へ 旧国鉄月寒駅記念碑へ

 「月寒駅」、今風に読めば「つきさむえき」ですが、その当時は「つきさっぷえき」と呼んでいました。

 1944年(昭和19年)頃、軍司令部の要請を受け当時の豊平町議会は「つきさっぷ」を「つきさむ」に改めましたが、鉄道省その後の国鉄は「つきさっぷえき」を変えなかったという逸話があるそうです。

旧国鉄月寒駅記念碑へ 旧国鉄月寒駅記念碑へ

 1926年(大正15年)8月に北海道鉄道札幌線「沼ノ端-東札幌」間に一般駅として開業しました。

 1973年(昭和48年)9月に千歳線線路付替えによって苗穂―東札幌間、・本駅-北広島間が廃止され、白石-本駅間は貨物支線の終端駅(旅客扱いは廃止)になりました。

旧国鉄月寒駅記念碑へ 旧国鉄月寒駅記念碑へ

 線路の付替えが行なわれた理由としては、苗穂―北広島間は急カーブや急勾配、踏切が多く旅客や貨物が増加に対応するのが難しいと判断したためだそうです。

 1965年(昭和40年)に完成したアサヒビール工場からの貨物積み出し用の貨物駅として残っていましたが、1976年(昭和51年)10月に廃駅となりました。

旧国鉄月寒駅記念碑 旧国鉄月寒駅記念碑

 東北道路から駅舎につながる当時の現存する道路がビール工場の物流センターに突き当たる所に旧国鉄月寒駅跡地があり、そこに北海道アサヒビール株式会社が建立した「国鉄月寒駅記念碑」があります。

旧国鉄月寒駅記念碑へ 旧国鉄月寒駅記念碑へ

『   旧国鉄月寒駅跡地 由来     (説明板より)

 月寒駅は大正15年8月21日北海道鉄道千歳線の開通と同時に、この地において開業した。その後昭和18年に旧国鉄が買収し、国鉄月寒駅となり、開業以来約半世紀にわたり、白石の地に主要駅として親しまれた。

旧国鉄月寒駅記念碑へ 旧国鉄月寒駅記念碑へ

 昭和48年9月千歳線の切替後は、最寄りのアサヒビールの積出し駅となったが、昭和51年10月1日その歴史を閉じ、平成3年アサヒ物流センターとなる。旧千歳線跡弛は、サイクリングロードとして、現在に至っている。   』

※ ウィキペディアフリー百科事典「北海道道1148号札幌恵庭自転車道路 」、「札幌市厚別区役所ホームページ『陽だまりロード』」、「札幌市白石区おもしろいしWEB『白石こころーど』を参考にさせていただきました。

 ご訪問頂きありがとうございました。

 

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