『道外への旅』ー鶴岡八幡宮、鎌倉大仏・高徳院-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
前回は、30代前半以後以来ふたたび本州への旅をする機会を得て、久々に飛行機による空の旅を楽しみ、神奈川県にある「大涌谷・箱根神社」の観光をしてきました。
ん空の旅ができたのも所用があってのことでしたので、それがおわったあとの時間を利用して身に観光旅行としゃれこみました。
今回は、「鶴岡八幡宮、鎌倉大仏・高徳院」に行ってきましたので、その時の様子を紹介します。
(訪問日:2023年(令和5年)11月下旬)
北海道の高校の修学旅行では大概は京都・:奈良観光が旅程の中に含まれることが多いのではないでしょうか。
私の通った高校もその例に漏れず奈良県にある「大仏様」(東大寺)に立ち寄りました。
「日本三大仏像」の一つに加えられるほど対物の中でも最も知られているのが奈良の東大寺にある大仏様ではないでしょうか。
その大仏様は西暦752年聖武天皇(しょうむてんのう)の発願により造立されたそうです。蓮弁又は台座を含めると高さ約81mもある仏像です。
奈良の大仏様は「盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)」というそうで、東西57.012m、南北50.480m、高さ48.742m、の世界最大級の木造建造物(金堂・大仏殿)に収められています。
一方鎌倉の大仏様は、テレビドラマ「おれは男だ!」(森田健作主演・日本テレビ系列で1971年から1972年まで放映された主に鎌倉を舞台にしていました)の中で見たのが初めてだったような気がします。
※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
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現地に行って実際に見たのは遥かずっと後のことで、私が30代前半位のころだったと覚えています。
ちょっとした訳が合ってまだ幼稚園くらいの幼い我が子と二人で「江ノ電」に乗って見物に行ったことを懐かしく思い出します。
あれから早いもので30数年の歳月がいつの間にか経ってしまいましたが、今回はその時の子は用事があって行けず下の子二人と私のためにわざわざ取ってくれて連れて行ってくれました。
※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
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なんてたって飛行機大好きな私、初夏の前回に乗ったばかりで再び飛行機に乗れるなんて、「盆と正月が一緒に来た」みたいな気分でした。
昨年の正月早々羽田国際空港で残念な悲しい飛行機事故が起きてしまいましたが、犠牲になられた方々にはお悔やみを申し上げます。
事故の話を聞くと飛行機の旅は心配にはなりますが、「めったに起きない!」ことを信じて深くは考えないことにしています。
※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
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今回も天気はまずまずの「晴れ」、上空に行ってみないと雲の様子は分かりませんんが雲海が少なく下界が良く見えることを期待していました。
自分が乗らなくても送迎で何回も通っていたので新千歳空港の様子の紹介は最小に済ませました。
前回に比べると上空の雲は多めでしたので、東北から仙台、千葉にかけての陸地の様子はあまり見ることができませんで…、残念でした。
それでも期待しながら視線はずっと窓の外に向けていましたので、いつものことですが首が疲れました。
1時間半位で今回も何事もなく無事に成田国際空港に到着し、いつも通り第3ターミナルにひゃいりました。
成田空港では新千歳空港と違って飛行機の入口までトンネル状の通路が繋がらず、昔ながらの階段状の「タラップ」で上り下りします。
これはLCC航空会社だけの特権なのか?分かりませんが、ターミナルビルから専用のバスに乗って飛行機の近くまで行き、タラップで上り下りします。
これはこれで風情?があって私は嫌いではありませんし、飛行機から下りると北海道との気温差を肌で直に知ることができるので「本州にやって来たぞ!」という気分が味わえる点も良いです。
数か月ぶりで再び成田空港に降り立ち、第3ターミナルビルから電車に乗るために第2ターミナルビルへ向かいました。
もう2回目なのでJR東日本の成田エクスプレスへの改札口も迷うことなく進んで行くことができました。
ただまだ渋谷での列車の乗り換えは2回目ですがちょっと心配でJR渋谷駅から私鉄小田急駅への移動が少し不安に思っていました。
これはこれで風情?があって私は嫌いではありませんし、飛行機から下りると北海道との気温差を肌で直に知ることができるので「本州にやって来たぞ!」という気分が味わえる点も良いです。
※ 鎌倉市に着いたのが昼前でしたので大仏ざまのある高徳院に向かう前に昼食を摂ることにしました。たまたま子どもが美味しい卵焼きで有名なお店が近くにあることを知って利ましたので、そこへ行くことにしました。人気店だけあって行列ができていて、1時間近く並んで殉難を待っていたでしょうか? 私は普段は並んでまで待って食事を食べたいと思う人ではなかったのですが、他の店も知りませんし子どもは食べてみたそうでしたしせっかく並んでいたのでここは我慢して並んで待つことにしました。甘い味付けの卵焼きは我が家でもいつも造って食べますが、ここの卵焼きはとても甘い味付けで私的には少々閉口気味でしたが、美味しく頂きました。
数か月ぶりで再び成田空港に降り立ち、第3ターミナルビルから電車に乗るために第2ターミナルビルへ向かいました。
もう2回目なのでJR東日本の成田エクスプレスへの改札口も迷うことなく進んで行くことができました。
これはこれで風情?があって私は嫌いではありませんし、飛行機から下りると北海道との気温差を肌で直に知ることができるので「本州にやって来たぞ!」という気分が味わえる点も良いです。
数か月ぶりで再び成田空港に降り立ち、第3ターミナルビルから電車に乗るために第2ターミナルビルへ向かいました。
もう2回目なのでJR東日本の成田エクスプレスへの改札口も迷うことなく進んで行くことができました。
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31にある八幡宮で「鎌倉八幡宮」とも呼ばれています。
八幡宮とは八幡神(応神天皇)を祭神とする神社で「八幡神社」「八幡社」「八幡」「八幡様」等とも表記されます。
大分県宇佐市の宇佐神社が総本社で奈良時代以前から九州で進行が広がり中世以降は全国に流行したそうです。
主に武家の守護神とされています。
鎌倉八幡宮とも呼ばれて11世紀後半に源氏の守り神として創建され、鎌倉武士の須吾信とな治ました。
全国の八幡宮の中でか、安倉幕府の初代将軍源頼朝ゆかりの神社として関東地方で知名度が高く、境内は国の史跡に指定されています。
源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は源頼義・義家が勧請した経緯もあり武家の崇敬を集めました。
鎌倉幕府衰退後は僧坊の数も減少し、戦国時代には鶴岡八幡宮の戦いで焼き討ちに合うが豊穣氏綱が再建を果たしました。
江戸時代に入ると江戸幕府の庇護を受け仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿等を建築し徳川家光の治世になると薬師堂鐘楼等も建てられました。
江戸幕府崩壊後は明治政府から「大教宣布」がなされると「廃仏毀釈」の動きが始まり仏堂が破壊され、仏像、仏具等も破壊・焼却所部等がなされました。
明治の近代社格制度で県社に列し、1882年に国幣中社に昇格し戦後は神社本庁の別表神社に列しています。
本宮(上宮)は文政11(1828)年に徳川家斉が再建した流権現造で国の重要文化財に指定されています。
本宮は大石段61段の上にあり登りきると桜門、その奥に拝殿とつながった本宮があります。
境内入口には源頼朝が掘らせた「源平池」という左右二つぶ分かれた池があります。
元治池には石間が三つ、平家池には島が四つ浮かび、それぞれ産(三)と死(四)を表すといわれます。
池には鯉やすっぽんが生息し水鳥も多い、夏には蓮の花が一面を覆います。
鶴岡八幡宮の社殿に向かって右手(東)の池が源氏池、その池の島に弁財天社を祀ったのが旗上弁財天社で、鎌倉七福神巡りの一つでもあります。
旗上弁財天社には夫婦円満、良縁、子宝の祈願石「政子石」があります。
政子とは「鎌倉幕府」を開いた「源頼朝」の妻「北条政子」のことで、政子が懐妊の際に安産を祈っておかれた石です。
源氏池と平家池を繋ぐ水路に石造の「太鼓橋」がありますが、初めは木造で朱塗りの橋でしたので「赤橋」と呼ばれていました。
源頼朝の求めに応じて舞った静御前が源義経を慕う歌を詠んだとされています。
「 吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りし人の 跡ぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな 」
高徳院・鎌倉大仏様
皆様からするとくだらないことをだらだらと綴ってしまいましたが、なにせ超田舎者なのでお許しください。
今回、大仏様の中に入り見物できることも知りましたので、初めて大仏様の中も見てきました。
周囲の社務所とかお土産屋さんとかの様子は変わっていても、大仏様は変わらずの姿だろうと…。
あの時幼い子があそこの所に座って撮った写真があるはずだな…、なんて思い出したりして眺めていました。
大仏様の話に戻りますが、この大仏様も東大寺の大仏様のように大仏殿があってその中に安置されていたそうです。
地震や津波などのために大仏殿と一緒に倒壊し焼失してしまったのを、大仏様だけがしゅうふくされて屋外に安置されたそうです。
東大寺の大仏様は奈良時代に創建されの大仏殿も火災などで二度焼失したそうですが、江戸時代に公慶(こうけい)上人によって再建されました。
因みに、「日本の三大仏像」という話もある様で、東大寺・高徳院に続く大仏様は二つの候補があるそうです。
一つは神戸市能福寺にあり「兵庫大仏」で台座を含めて高さ約18mあり、1891年に建造され戦時中の金属回収例により焼失しましただ、1991年に再建されました。
もう一つは岐阜市正法寺にある「岐阜大仏」で高さ約14m、の座像で38年の歳月をかけ1832年に完成しました。
どちらが三番目かは定かではないそうですが、一度は出向いて見てみたいと思いました。
さて、話を鎌倉の大仏様に戻しましょう。
鎌倉の大仏様として知られている高徳院の「阿弥陀如来坐像」(国宝銅像)は、神奈川県鎌倉市長谷4丁目2-28にあります。
造立が開始されたのが1252(建長4)年僧浄光が勧進した浄財が当てられたと伝えられています。
大仏殿は台風や大津波のために倒壊し、奈良時代末には今の「露座の大仏」になりました。
創建以来約770年を経た尊像、江戸中期に浅草の商人野島新左衛(泰祐)の喜捨を得た祐天・養国の手で荒廃が進んでいた像を復興されました。
像高訳11.31m(台座も含めると13.35m)、重量約121tの像(完成当初、鎌倉大仏は金箔で覆われていました)はほぼ造立当初の造容を保ち我が国の仏教芸術史上重要な価値を有しています。
※ 高徳院(詳名:大異山高徳院清浄泉寺)は法然上人(1133~1212年)を開祖とする浄土宗の仏教寺院。法然上人は善悪、男女、年齢、身分などの別なく万人の救済を本願とされる西方極楽浄土の教主、阿弥陀如来に帰依された。
※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
歌人・与謝野晶子の歌碑が境内にあります。
「かまくらや もほとけなれど 釈迦牟尼は美男におはす 夏木立かな」
最初に訪れた時には大仏様の中に入れるとは思ってもみませんでしたが、今回ひょんなことから胎内に入れることを知り、中を見物す知ることも楽しみの一つでした。
大仏様の中は空洞で窓の様な所(像の後ろに回ると開口部が見られます)から自然光が差し込み真っ暗ではありませんでした。
最初に造られた大仏様は木造で、1243(寛元元)年大仏様と大仏殿が竣工したそうです。
それから10年ほど後に金銅の大仏様に造り替えられたといわれているそうですが、大火なことは分かっていないそうです。
胎内に入って見ると、高度な鋳造技術であることが分かります。
境内のあちこちに表面が平らな平べったい礎石が残って利ることから大仏殿の大きさが想像できます。
大仏の所々に金箔がわずかに残っているのを見ることができることから、造られた当時は全部金箔が施されていたといわれます。
『 大仏様の藁草履 (説明板より)
常陸太田市松栄町(旧郡戸村)の松栄(まつざか)子供会によって奉納された、長さ1.8m、幅0.9m、重量45㎏にも及ぶ藁草履です。
この草履の制作・奉納は、戦後間もない1951年、「大仏様に日本中を行脚し、万民を幸せにしていただきたい」と願う、茨城県久慈郡(現常陸太田市松栄町)の子供達によって始められました。
松栄町会はその事績も後世に伝えつつ、1956年以降、3年に一度巨大な藁草履の制作を試み、当院への寄進を続けておられます。
※ 藁草履には、お金をはさまないでください。 』
帰りもまたJR東日本の「成田エクスプレス」を利用させてもらいました。
帰りの飛行機の便は、どうしても夕方発の飛行機になります。
この碑は、機材の都合により飛行機の出発時刻が2時間近く遅れてしまいました。
ということは夜の出発となり、上空からの眺めは期待できないことになりました。
空の上から眺める都会の夜景も宝石を散りばめたように光る灯りはきれいでした。
たださらに時間がたつと都会上空から山間部へと飛行機は移って行きますので真っ暗闇の世界となりました。
雲の切れ間から時々見える小さな光の集まりは小さな集落の家の灯りなのでしょうか…。
そんなのを見つけると嬉しく思いました。
帰りに乗る予定の飛行機が成田空港に到着するまで、空港の待合室の窓から飛行機の離発着の様子を眺めたりしていました。
これから新千歳空港に着いて札幌駅経由で家に帰ることになりますが、路線バスも多分終わってしまい家に着く頃は何時になるのだろう…、とため息をついてしまいました。
※ フリー百科事典ウィキペディア「大涌谷」「箱根神社」、株式会社小田急箱根サイト箱根ナビ「九頭龍神社」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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