『北海道のダム』-新中野ダム-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「新中野ダム(しんなかのだむ)」を紹介します。
(訪問日:2022年(令和4年)5月中旬)
前回紹介しました笹流ダム(函館市亀田大森町1番地)は、二級河川亀田川水系亀田川(かめだがわすいけいかめだがわ)の河口から上流約8kmの本流と支流笹流川(ささながれがわ)との合流点付近の笹流川に建設されました。
※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。
笹流ダム(ささながれだむ)は扶壁式鉄筋コンクリートダム(パットレスダム:アースダムや重力式コンクリートダムに比べ堤体容積が小さいため建設費が安く工期が短い等の利点)亀田川本流と支流笹流川の合流点から約360m上流地点の笹流川に堤体工事は大正10(1921)年に着工し大正12(1923)年に完成、我が国最初の扶壁式鉄筋コンクリートダム(パットレスダム)で利水専用ダムとして我が国で唯一のダムです。
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今回紹介する「新中野ダム」、その前身であった「中野ダム」は、第二次大戦終了後の函館市の水不足による衛生上や防火上の問題から憂慮すべき状態であったため、函館市は笹流ダムから約4km上流の亀田川本流に建設を計画し、昭和30(1955)年に着工し昭和35(1960)年に完成した重力式コンクリートダムです。
その堤高は53m、堤頂長は162m、総貯水容量は764,000㎥でした。
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函館地方は台風の北上ルートにあたり幾度か集中豪雨による洪水被害を受けていましたが、とりわけ昭和40(1965)年の災害では家屋の半倒壊、床上浸水被害が1612棟という被害を受けました。
亀田川は上水道・農業用水の水源に利用されていましたが、河道は単断面で狭窄部が多く流れが不安定で流量が極めて少なかったのです。
そこで北海道は昭和45(1970)年に亀田川の治水計画を決定し、函館市と協議し中野ダムを21.9mかさ上げする工事を行い「新中野ダム」を建設することを決定しました。
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この重力式コンクリートダムを20m以上かさ上げしたのは、この新中野ダムが国内最初でした。
昭和50(1975)年に嵩上げ工事に着手し昭和59(1984)年に完成、利用目的は 洪水調節・不特定利水・上水道です。
その堤高は74.9m、堤頂長は248.0m、総貯水容量は3340,000㎥となりました。
ダム湖の名前は、「なかの湖」です。
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新中野ダムの基礎となった中野ダムの建設資材のうち砂は函館市の旧市街地が乗る陸繋砂州の東側の大森浜にかつてあった砂丘「大森山砂丘」の砂が活用されたそうです。
ダム公園は、新中野ダムの下流右岸に市所有地2.45haを造成した公園で市民に健康なレクリエーションの場を提供し,あわせて水資源を直接貯えるダムと,その機能を助ける森林の役割を,自然の中で楽しみながら学べるように造られた公園です。
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園内には,北海道の代表的な4つのダム(大雪ダム・豊平峡ダム・笹流ダム・新中野ダム)のミニチュアが設けられていて模型に水が流れている様子と説明板の内容からダムが身近に感じられながら学ぶことができます。
また、ボール遊びなどができる多目的広場,入口広場,休憩コーナーなどが設けられています。
さらにダム公園と周辺の森林は,水を貯え,はぐくむ働きをする水源かん養保安林と,安らぎとうるおいを与え,森林浴などの場を提供する保健保安林に指定されているそうです。
※ 市政ポータルサイト函館市「新中野ダム」、フリー百科事典ウィキペディア「新中野ダム」「バットレスダム」「扶壁」、渡島総合振興局トップ「新中野ダム」、
新中野ダムを参考にさせていただきました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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