『北海道のダム』-漁川発電所(王子製紙株式会社)-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「漁川ダム(いざりがわだむ)」(恵庭市漁平)を紹介します。
(訪問日:2020年(令和2年)8月下旬)
漁川ダムは、一級河川・石狩川水系漁川(いしかりがわすいけいいざりがわ)に建設された特定多目的ダム(洪水調節・不特定利水・上水道)で堤体の中央部に粘土などの水を通さない壁(遮水壁)を設ける「中央土質遮水壁型ロックフィルダム」という形式のダムです。
漁川ダムへ向かう途中に気になる施設を見つけましたので、車を停めて「この施設は何だろう…?」と思い、取材してみることにしました。
川床から1mほどの堰堤があり、その端の方に2門の水門が設けられていて、水門の奥の方に小さな小屋が建っていました。
堰堤の数m先には今はすごく珍しいと思う「吊り橋」が対岸に向けて渡されていました。
私は小学校に通っていた頃、日高の田舎町に住んでいて、その町の中に川が流れていてよく行っては魚釣りに興じたものでした。
その川を河口から少し上流の方へ行くと、そこに架かっているものよりももう少し大きな吊り橋が架かっていました。
吊り橋を渡ると足を踏み出し毎に少しずつ揺れ始め最初は「おおっ!」と思うのですが、慣れているとその揺れが楽しく愉快に思えてきました。
でも、調子に乗っていると「橋が落ちてしまうかも…」と一抹の不安も感じ始め普通に橋を往復するようになりました。
吊り橋から堰堤の周囲には柵が設けられていて、「関係者以外立入禁止」となっていましたので中には入りませんでしたが、そこはコンデジ望遠カメラの新骨頂でズームズームで施設の様子を近くに見ることができました。
自宅に戻ってからその施設について検索してみたら、「王子製紙株式会社 漁川発電所」(恵庭市盤尻)ということが分かりました。
さらに調べてみると、この漁川発電所は結構歴史ある発電所であることが分かりました。
歴史を遡ること「1922(大正11)年に「漁川発電所」として完成しました。
当時建設したのは、「当別電気株式会社(後の北海道電力)で漁川を利用した水力発電所でした。
発電機なども機材の運搬には江別から船で「漁太の船着場」まで運び、そこから盤尻まで人力で運びました。
約14㎞(今の道路で)の道のりを地盤の弱い農道では厚い板を敷き詰めて「コロ」を使って人と馬で引っ張り、整備されていない道路ではレールを敷いてトロッコに乗せて運ぶという大変な苦労があったそうです。
機材運搬には当時の青年団による労働奉仕が大きな力になりました。
※ コロ引き・・・物を動かす方法で、有働させたい物よりも長い棒をそのものの下に何本も敷いて、棒の上を転がしながら移動させる。
当時は、1000kWの発電力でしたが、夕張の炭鉱地帯への送電を目的にしていましたが、途中の地域や恵庭・北広島にも送電していました。、
恵庭村内ではでんぷん工場、木工場、映画館、精米所等は電気を使えましたが、一般家庭が電気を仕えたのは戦後のことだそうです。
現在は、王子製紙株式会社の漁川発電所となっていますが、今も創業当時のものが使われているそうです。
2014(平成26)年9月11日「支笏豪雨災害」により道路の冠水、河川の氾濫、土砂の流出が起き、前出の発電所前にある「吊り橋」が濁流に飲み込まれてしまいました。
※ 北海道恵庭市「漁川ダム」「恵庭渓谷」「写真で見る恵庭ふるさと講座(えにわ学講座) 恵庭に電気が通ったのは、今からおよそ100年前!」国土交通省北海道開発局「漁川ダム」「恵庭渓谷」、フリー百科事典・ウィキペディア(Wikipedia)「漁川ダム」「恵庭渓谷」「漁岳」、北海道新聞「橋流失、道も十数メートル崩落 道央豪雨、残した爪痕」を参考にさせていただきました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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