『北海道開拓の村』-旧近藤医院-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「旧近藤医院(きゅうかいたくしこうぎょうきょくちょうしゃ)」を紹介します。
(訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)
前回紹介しました「旧開拓使工業局庁舎 」を後にして、その隣りにある「旧近藤医院」へ向かいました。
『 旧近藤医院 (説明板より)
この建物は、明治33年(1900)に函館病院から古平病院長として招かれ、同35年に古平町で開業した近藤清吉が建てた病院で、昭和33年(1958)まで使われた。
木造2階建の医院棟には1階に診察室、手術室、茶の間などがあり、2階には居室がある。石造2階建の倉は、明治後期建築の文庫倉である。 』
『 旧近藤医院 (説明板より)
この医院は玄関先のポーチ、バルコニー、下見板張の外壁、上げ下げ窓などに、当時の洋風木造建築の特色が見られ、地方の医院建築としては斬新なものである。1階の受付・薬局・診察室・手術室、茶の間などは、大正10年(1921)頃のようすを展示している。2階には洋室2間、和室1間がある。裏の文庫倉は、木骨石張りで明治30年(1897)頃の建築である。内部には、近藤医院の歴史と約1万冊の蔵書を展示、収納している。 』
『 近藤清吉と近藤医院 (説明板より)
近藤清吉は明治4年(1871)函館に出生し、函館病院付属医学講習所、東京医学専門学校濟生学舎で学び、その後箱館病院の医師となる。明治33年(1900)古平病院長となり、同35年古平町で開業。大正8年(1919)古平の大火で浜町の医院が焼失、新しい医院を建設。大正10年古平・美国・積丹三郡医師会長に就任。その後美国町にも医院を開設したが、昭和9年(1934)廃止した。昭和13年死去。昭和59年旧浜町分院を北海道開拓の村に復元。 』
『 近藤清吉の蔵書 (説明板より)
近藤清吉はまれにみる読書家で、いつも手から本をはなさなかったといわれる。蔵書の内容は専門の医学書にとどまらず、各種辞典、全集、哲学、宗教、歴史、地理、社会科学、自然科学、産業、技術、芸術、語学、文学など広い分野にわたり、その数は約1万冊にも達した。地元の人びとはこの文庫倉を町の私設図書館と呼んだ。これらの図書の中には現在でも貴重なものが多く、彼の教養の高さを物語っている。 』
※ フリー百科事典ウィキペディア「北海道開拓の村」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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