『道南の旅』-北鴎碑林、町村記念公園、孟宗竹林-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「北鴎碑林、町村記念公園、孟宗竹林:松前町」を紹介します。
(訪問日:2019年(令和元年)7月下旬)
江戸時代の松前を再現したテーマパーク「松前藩屋敷」を後にして、まずその近くにあった「町村記念公園」と「北鴎碑林」へ向かいました、
この日の最後に松前町の見所として紹介されている「孟宗竹林」へ行こうと思っていたので、松前藩屋敷のガイドの方に孟宗竹林の場所や行き方を尋ねてみました。
「今、あそこら辺にはヒグマが出没する危険性があるのでお勧めしません。市街地の中にも僅かですが竹林があるのでそちらに行かれた方がいいですよ。」という話でした。
松前町市街地からだと車で7~8分、松前藩屋敷からなら少し近いので5分くらいで行けるかなと思っていましたが、ガイドの方ヵらそんな話を聞くと迷ってしまいました。
登山もする私ですから「ヒグマ出没注意!」の看板には慣れていましたが、せっかく来た道南の旅の途中でこの後函館市内観光も計画していましたので、ここでヒグマに襲われでもしたら後の楽しみが「おじゃん」になってしまいます。
よく考えてみると、北限の「竹林」といわれるものを見て見たかっただけなので、それを命を懸けてまで(ちょっと大袈裟ですが…)見に行く熱意も興味もある訳ではなかったのでガイドさんの助言にすんなりと乗ってしまいました。
市街地のどこにあるかといいますと、以前紹介した「血脈桜」の光善寺の東側で、松前町桜資料館(松前町神明30)の西隣りにある「法源寺」の裏手にあることが分かりました。
北鴎碑林
松前藩屋敷を出てその前の道路を北方向に進んだ所に「北鴎碑林(ほくおうひりん)」がありました。
北鴎碑林は、平成20年に書家・金子鴎亭(かねこおうてい)氏の生誕100年を記念して鴎亭氏の石碑13基、同氏の仲間や門人などの書家の石碑71基の計84基の碑林が完成しました。
『 碑 文 (碑文より)
松前町名誉町民金子鴎亭先生は明治三十九年五月九日松前町字静浦の生まれ、松前町の豊かな文化、伝統と自然にはぐくまれながら茂草、江良、松城小学校に学び、故郷を離れ函館師範学校(現北海道教育大学函館校)を卒業後、教鞭をとるかたわら幾多の困難にもめげず、不屈の精神をもって書道に精進し、独自の芸術観を確立されました。この間、日本書道美術院、毎日書道展、創玄書道会、近代詩文書作家協会等の創設に参画されたほか、近代詩文書や日展調和の発展につくされました。
こうした永年の芸術文化への功績によって、昭和四十二年日本芸術院賞、昭和五十八年勲三等旭日中綬章、昭和六十二年毎日芸術賞、文化功労者顕彰、平成元年北海道開発功労賞、平成二年には我が国最高の栄誉である文化勲章を受章されました。
偉大なる先生は誠に松前町の誇りであり、永遠に町民の心の支えになるものであります。
八十八歳の米寿に当たり、先生の功績を顕彰するため松前町民及び全国に在住する松前町出身者、創玄書道会等の総意によって、茲に銅像を建立するものであります。
こい願わくは先生の高徳を、次代の若人が指標として讃仰精励し、有為な人材が多数輩出することを心から期待するものであります。
平成六年五月二十一日
金子鴎亭先生顕彰銅像建立期成会
会 長 梶 谷 康 介 』
さらに平成25年に新たに著名な書家の石碑が36基増設され計120基、国内最大級の碑林となりました。
金子鴎亭氏は1906(明治39)年、松前町字静浦に生まれ書道に精進し書文化の発展を願って一生涯尽力し平成2年文化勲章を受章しました。
「北鴎碑林」の名は、北海道の「北」と鴎亭氏の「鴎」をとり、数多くの石碑のことを「碑林」と称することから名付けられました。
『 碑 文
金子鴎亭先生は、近代詩文書の父と呼ばれ、我が国第一級の書家で、書道文化の振興発展に多大な業績を残し、最高の栄誉である文化勲章を受章されております。
平成十七年、社団法人創玄書道会は、創立者であり偉大な書家である鴎亭先生の生誕百年を明年迎えるにあたり、鴎亭先生の功績を末永く讃えるとともに、ふるさとを書道文化の発信地として、石碑建立を計画され、松前町を訪れ松前公園を適地として定めました。
平成十八年、精力的に活躍されていた金子卓義理事長が無念にも志半ばにして急逝されましたが、創玄書道会の揺るぎない絆の下、鴎亭先生の石碑十三基と門人の方々の石碑七十一基を製作し、これを松前町が寄贈を受け、ここに設置したものであります。
金子鴎亭記念「北鴎碑林」は、国内最大級の石碑群となるもので、文化の香り漂う書のまちづくりをすすめる松前町にとって、なにものにも代え難い貴重なものであり、訪れる人々を必ずや書の世界へと誘ってくれるものであります。
平成二十年十月十二日
金子鴎亭記念 北鴎碑林 竣工記念事業推進協賛会
名誉会長 川 村 正
会 長 前 田 一 男 』
町村記念公園
北鴎碑林を後にした私は、松前藩屋敷のガイドの方から聞いた「孟宗竹林」を見るために、法源寺(このお寺の裏手に竹林があります)へ向かいました。
その途中にあった公園の中で見かけた「案内板」と「石碑」が気になったので立ち寄ってみました。
『 町村(まちむら)記念公園 (案内板より)
松前町は、全国でも貴重な桜の名所として知られその樹種は二百五十種、一万本を数えております。
一朝一夕(いっちょういっせき)になし得たものでなく、先人の献身的な努力と多くの方々の善意によるものであります。
昭和三十五年、当時の北海道知事・町村金吾氏が桜(染井吉野)二00本を寄贈されており、このことは桜を愛する私たちにとって、忘れてはならないことであります。
この桜は、松前城の北東に位置する神止山周辺に植えられましたが、四十五年を経た今日、環境の変化が著しく、多くの人が鑑賞(かんしょう)できる適切な場所へ移すべきとの考えのもと「二世樹(にせいじゅ)」の植栽とともに「寄贈の碑」を移設し、この広場を町村(まちむら)記念公園として顕彰(けんしょう)するものであります。
博古知今 古(いにしえ)に博(ひろ)くして今を知る(孔子)
歴史をしっかり見据えて取り組むことが大切の意味です。町村(まちむら)記念公園の整備にあたりご子息の外務大臣 町村信孝氏が揮(き)ごうされました。
平成十七年四月二十三日
町村(まちむら)記念公園整備実行委員会 』
案内板の横には石碑があり、「博古知今」の文字が刻まれてありました。
先人たちは同じような過ちを繰り返してきました、同じ過ちをさらに繰り返さないために歴史に学びよく識(し)った上で、これからのことを考えて行くことが大切。
※ 「博古知今」・・・「はっこちこん」と読みます。
孟宗竹林
町村記念公園を後にして、孟宗竹林のある法源寺へ向かいました。
町村記念公園から南方向へ坂道を歩いていると右手に「松前藩主松前家墓所」があり、正面がT字路になっていてちょうど法源寺に裏手に当たり「孟宗竹林」らしき竹林が見えていました。
まずは、近い方の松前藩主松前家墓所に立ち寄ってみました。
松前藩主松前家墓所の門を出て、道路を挟んで前方左側の方に目指していた「孟宗竹林」がありました。
『 松前の大欅(おおけやき)記念保護樹木 (説明板より)
この藩公墓所の開設は寛永年間、松前七代藩主公広によるといわれており、
このケヤキは墓所開設の際に、菩提樹として植えられたものと伝えられています。
松前には、その古い歴史に由来する数々の古木、名木がありますが、中でも樹齢370年以上で、直径180㎝に達するこのケヤキは、来訪者が思わず目に止めるほどの巨木です。
昭和48年3月30日規定
北 海 道 』
『 ケヤキ[欅] (説明板より)
Zelkova sarrata Makino
幹周(主幹)500cm 枝張 東西32m
樹高 24m 樹齢 推定330年
松前藩主墓所の入口にあり、この墓所の開設は寛永年間7代藩主、公広の時代といわれ墓所を開設したおり、菩提を弔うための菩提樹として植えられたものと推定される。 』
竹林は、テレビの時代劇番組の中で侍同士が駆け込んで行って死闘を繰り広げる場として出てきたりするのを見ました。
実際に本物を見るのは、これが初めてでした。
時代劇の中で出て来る竹林は、よく整備されているので竹と竹の間が広くて下草もきれいに刈ってあるのでチャンバラ(殺陣)ができるわけです。
時々勢い余って相手(人)じゃなくて竹をスパッと斜めに切ってしまうシーンなどがありました。
ここの竹林は、時代劇に登場してくる竹林ほどには管理されていないようで竹と竹との間隔が30~50㎝くらいでしょうか。
孟宗竹は、アジアの温暖湿潤地域に分布する竹の一種で、孝行息子・孟宗が冬に竹の子が食べたいという母のために寒中筍を採ったという中国の故事にその名の由来があります。
タケノコとして食用にされるほか、ざる・かご・すだれ・箸などの他に建築材料や農業資材、漁業資材などにも利用されている。
近年、プラスチック製品の普及によって竹材需要が減少し、中国産の安いタケノコの輸入が増加し市場価格が下落するなどのため日本国内の竹林は放置傾向にあるそうです。
また、タケノコは1日で最高1m以上伸び、1~2ヶ月で10~15mほどに成長し、枯れるまで約15年間かかるそうです。
竹林が管理されなくなると、1年間で本数が平均10%増加し竹やぶになっていき、林床の植生・昆虫類の生息にも影響を与えます。
さらに、モウソウチクが他植生へ侵入することによって広葉樹の生長が阻まれてしまい枯れてしまうことにもなってしまいます。
私は初めて見る孟宗竹林に感動しながら眺めていましたが、孟宗竹の竹やぶはよくある熊笹や根曲竹の竹やぶとは格が違う感じがしました。
直径10㎝位もある太い竹が乱立しているわけですから、人はもちろんヒグマでさえその中を自由に歩き回るなんて難しいのではないかと思いました。
さらに道なりにを進んで行くと、法源寺の東隣りに小さな民家のような佇まいの「桜資料館」がありました。
昭和48年に開館した「桜の図書館」で、桜に関する書籍や絵画、写真、工芸品などが収められていて、桜の知識を深めるのに役立つ施設となっています。
※ 以下の動画には、風切音などの雑音が入っていますので、視聴に際しましては音量に十分ご注意下さい。
※ 松前町ホームページ「書家 金子鴎亭」、 フリー百科事典ウィキペディ「モウソウチク」、石川県林業試験場サイト「よくわかる 石川の森林・林業技術№12 モウソウチク林の駆除と森林化」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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