『北海道開拓の村』-旧太田装蹄所-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「旧太田装蹄所 (きゅうおおたそうていしょ)」を紹介します。
(訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)
前回紹介しました「旧藤原車橇製作所」を後にして、隣りにある「旧藤原車橇製作所 」へ行きました。
大正13年(1924)から昭和20年(1945)まで、札幌市街の江別方面に通じる幹線道路(今の国道12号線)沿いで営業していた「蹄鉄(ていてつ)屋」の名で親しまれていた装蹄所を再現したものです。
その頃、馬が物資運搬や農耕の主役であった時代で、装蹄所はどこの町や村にもみられ馬蹄の保護に欠かせない職種でありました。
蹄鉄(ていてつ)というのは、馬の蹄(ひづめ)を守るためにとりつける金属製(きんぞくせい)の金具で、馬の蹄の大きさに合わせて造るので、形や大きさはさまざまでした。
※ 馬の蹄・・・馬は足の長さを増して歩幅を広げるためにつま先立ちで走っています。つま先立ちになると中指だけが接地し、負担が中指の先端のみに集中することから、指先の皮膚を角質化して保護するようになりました。角質部分には神経と血管はありませんが、生きていて1ヶ月に8㎜ほど伸びます。
『 旧太田装蹄所 (説明板より)
大正13年(1924)から昭和20年(1945)まで、札幌市街の江別方面に通じる幹線道路(現在の国道12号線)沿いで営業していた装蹄所を再現した。
蹄鉄屋の名で親しまれていた装蹄所は、馬が物資運搬や農耕の主役であった時代にはどこの町や村でもみられ、馬蹄の保護には欠かせない職種であった。 』
『 旧太田装蹄所 (説明板より)
装蹄師の資格は、蹄鉄工と呼ばれていた明治時代から免許制であった。その仕事は、蹄鉄を製作する造鉄と爪切り(削蹄)、蹄鉄を蹄に合わせて釘付けする装蹄が中心である。この装蹄作業は、馬を木枠につないで行われた。
この展示は、大正末期の初冬の仕事場を再現し、独立して間もない20代の若い親方と、その弟子が蹄鉄を夏用から冬用にとりかえる作業を行っている。 』
※ 装蹄の手順・・・①履いている蹄鉄を外します。②専用の刃物で伸び過ぎた部分を切り取ります。③削蹄した蹄に合わせて新しい蹄鉄を調整します。④蹄鉄の調整が終わったら装蹄専用の釘を用いて蹄鉄を正しい位置に取り付けます。⑤蹄壁に飛び出した釘の先端を切り取り、切断部分を折り曲げて固定します。⑥最後にはみ出した蹄に軽くヤスリをかけて完成です。
※ 日本の蹄鉄の歴史・・・日本では古くから藁製(わらせい)の馬蹄保護具が使われていました。日本の在来種の馬は蹄が固く蹄鉄がなくても走行にはさほど問題はなかったので普及しませんでした。西洋式の金属製蹄鉄が組織的に使われるようになったのは明治以降のことでした。農山村部に普及したのは大正期でした。明治23年(1890)に蹄鉄工免許規則が制定され蹄鉄工は国家資格とされました。
※ 「北海道開拓の村ホームページ 『旧太田装蹄所』」、公益社団法人 日本装削蹄協会サイト「豆知識 装蹄編」、フリー百科事典ウィキペディア「蹄鉄」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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