『北海道開拓の村』-旧藤原車橇製作所-
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今回は、「旧藤原車橇製作所 (きゅうふじわらしゃそりせいさくしょ)」を紹介します。
(訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)
前回紹介しました「旧本庄鉄工場」の隣りにある「旧藤原車橇製作所 」へ行きました。
明治31年に宮大工でした「藤原信吉(ふじわらのぶきち)」が兵庫県から深川に入植し、明治36年に妹背牛(もせうし)に移り馬車や橇(そり)を造り始めました。
明治11年(1878)に開拓長官・黒田清隆(くろだきよたか)がロシア・ウラジオストックなどの視察に行った際に、馬橇(ロシア型)1台と馬車2両などを購入し、ロシア人の馬制作職人を雇い北海道へ招きました。
ロシア人の指導により馬橇や馬車が造られ、その後札幌で改良された馬橇(札幌型、柴巻馬橇)が全道各地へ普及していきました。
明治20年代(1880年代)には馬橇の製造技術を習得した職人が北海道各地で独立し製造業を営むようになりました。
ロシア型(そり部分の太い木材の先端部が大きく上方に湾曲している)が改良されて、柴巻馬橇(「柴巻=細い丸太状の木材」を加工して巻いて補強した橇)とか札幌型などと呼ばれ全道に普及していきました。
『 旧藤原車橇製作所 (説明板より)
この作業場では、明治36年(1903)から昭和38年(1963)まで車橇(しゃそり)が製作されたが、鍛冶屋(かじや)は明治41年(1908)に設けられた。
内部の展示は、大正末期のようすを再現している。左側は金輪馬車の車輪の組立て作業を示し、右側は馬橇の柴巻作業を示している。釜の上の蒸籠(せいろう)は柴木をふかす道具である。
倉庫内では、柴巻馬橇の台木の鼻曲げ作業を展示している。 』
※ 「馬橇の台木曲げ」は前回紹介した「旧本庄鉄工場」をご参照ください。
※ 「金輪馬車」は、木製の車輪の接地面に金属の輪がついて補強された車輪が使われている馬車。
『 旧藤原車橇製作所 (説明板より)
明治31年(1898)、兵庫県出身の宮大工藤原信吉が深川に入植し、同36年(1903)には妹背牛で車橇製造を開業した。以後、3代にわたり営業を続けた。
この建物は、開業以来使われてきた車橇製作所を再現したものである。作業所と住宅からなり、木造切妻平入(きりづまひらいり)の構造である。 』
※ 切妻平入(きりづまひらいり)構造・・・「切妻」とは屋根の形状の一つで、屋根の最頂部の棟から地上に向かって二つの傾斜面が本を伏せたような山形になっている屋根のこと。「平入」とは、二つの斜面(屋根)の下に出入口があるもののこと。
※ 「北海道開拓の村ホームページ 『旧札幌拓殖倉庫』」、フリー百科事典・ウィキペディア「馬橇」を参考にさせて頂きました。
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