『北海道開拓の村』-旧札幌拓殖倉庫-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「旧札幌拓殖倉庫 (きゅうさっぽろたくしょくそうこ)」を紹介します。
(訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)
前回紹介しました「旧広瀬写真館」を後にして、南方向に向かって道を歩いて行きました。
この道路沿いの右側には林が広がり、左側にはきれいに手入れされた芝生が続いていて、「子ども広場」の手前に今回紹介する「旧札幌拓殖倉庫」が建っていました。
この建物は、明治40年(1907)に建てられ、当時は札幌駅の北側に6棟が並んで建っていたうちの1棟です。
『 旧札幌拓殖倉庫 (説明板より)
札幌石を使用したこの倉庫は、五十嵐倉庫合名会社より明治45年(1912)創立の札幌拓殖倉庫株式会社に引きつがれた。
この建物は札幌駅北側に隣接し、線路に直角に位置していた6棟の内の一番西側の棟である。開拓期の農産物の集散に大きな役割を果たし、地域の発展に貢献した。 』
『 産業技術の収集と保存 (説明板より)
戦後、産業開発と都市化がかつてない勢いで進行するなかで、多くの生活文化財とともに貴重な産業技術記念物や産業遺跡が失われてきた。
北海道にも産業、林業、水産業をはじめ鉱業、地場産業の発展を生産の現場で支えてきた古い産業機械・装置や工作機械がまだ各地に残されていると思われる。
これらを将来的に収集、保存することは北海道にとっての重要な課題といえる。
』
『 北海道の農機具 (説明板より)
北海道の農業開拓が組織的・計画的に行われるようになるのは、明治期後期であるが、その初期の段階では鍬・鋤に代表される在来農具によって開墾、工作が行われていた。
一方、開拓使はアメリカから招聘した開拓使最高顧問であったケプロンの開拓構想に基づいて、欧米の畑作品種や家畜、畜力農機具を導入した欧米農法の定着に取り組み、プラウ、ハローなどさまざまな農機具が輸入された。また、1872年(明治5)には牧畜や様式農機具などの用法を伝習させるため「農業現術生制度」を創案し、さらに、1874(明治7)には「西洋農機具貸規則」が制定されるなど、洋式農機具の民間への貸付けの道が拓かれていった。このような積極的な様式農機具の定着・普及策がとられる中で、明治30年代から40年代になると、プラウ、ハロー、カルチベータを中心とした様式農具が北海道農業に広く定着した。 』
※ 「北海道開拓の村ホームページ 『旧札幌拓殖倉庫』」を参考にさせて頂きました。
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