『道南の旅』-テカエシ台場跡-
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こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「テカエシ台場跡」を紹介します。
(訪問日:2019年(令和元年)7月下旬)
前回は、案内標識にある「Aコース ③北前船の係留跡」を紹介しました。
「台場(だいば)」とは、大砲を備える場所のことです。
松前藩が江戸時代末に諸外国船の接近を警戒して南北に細長いカモメ島の南北双方に設けられたうちの北側にあるのが「テカエシ台場」、南側にあるのが「キネツカ台場」です。
明治元年(1868年)の箱館戦争で江差を占領した旧幕府軍でしたが、嵐によって開陽丸が座礁し沈没してしまいました。
開陽丸を失った江差の旧幕府軍に対して、翌年新政府軍の艦隊5隻が箱館方面から北上し江差沖から砲撃が行なわれました。
これに対し旧幕府軍も南側の「キネツカ台場」から大砲で応戦しましたが、砲弾が敵艦まで届かずあきらめて松前へ退却することとなりました。
※ 「江差町公式ホームページ『キネツカ台場』『テカエシ台場』」を参考にさせて頂きました。
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