『札幌恵庭(北広島)自転車道路』-陽だまりロード西側①-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「陽だまりロード西側①」(札幌市厚別区大谷地東5~7付近)を紹介します。
(訪問日:2019年(令和元年)6月上旬)
前回は、陽だまりロードのほぼ中側(厚別中央通トンネル~厚別西トンネル(厚別南白樺公園)~旭町トンネル)の様子を紹介しました。
旭町トンネルを後にして先へ進んで行くと、道道3号線(道道札幌夕張線)の下を通るトンネルがありました。
さらに先に行くと、右手に陽ざしを避けられるように造られた屋根、少し離れてベンチ(どうして屋根の下にしなかったのだろう…?)が置かれた休憩所がありました。
その奥、フェンスを隔てたすぐそばに学校があり、地図を見ると「厚別南中学校」の校舎のようでした。
ベンチに座って休みながら周囲の様子をうかがうと、「鬼遊び」などについての説明が書いてある標示板を見つけました。
その説明板の中には、私が子どもの頃しょっちゅう友だちと遊んでいた「遊び」も載っていたので懐かしく読みました。
今どきの子ども達は、「遊び」というと室内で、スマホやパソコンでするゲームが中心なのでしょうか?
テレビゲーム(今もそういうのでしょうか…)が家庭でも好きな時間に好きなだけできるようになったのはファミコン(ファミリーコンピュータ)が任天堂から発売されて(1983年(昭和58年))からのことでした。
それ以前は、「インベーダーゲーム」(1978年(昭和53年)(株)タイトーより発売)などが流行り喫茶店やベンダーショップ( 街角などに自動販売機だけが設置された無人の店舗)などのテーブルゲームで1回100円で、私も夢中になって興じてしまいました。
当時、私は学生でしたのでゲームに注ぎ込める財力にも限界があり、すでに社会人となっていた友人の知識・技量には対抗できるはずもなく毎回悔しい思いを抱いていた記憶があります。
でも、ゲーム機登場以前は喫茶店で待ち合わせた友だちとは近況報告や好きなバイクのことなどの話をしたものですが、ゲーム機登場後は「どこまで攻略できたか、どうやって高得点を挙げるか」などの話がほとんどになっていたような気がします。
「キャッチボールや三角ベース、ビー玉、メンコ、釘差し、あや取り、基地作り等で遊んだあの頃」もあれはあれで楽しかった、良かったと思いますし、「友達と接する上での貴重な学びの場」だったように思っています。。
何か話が脱線してしまいましたが、「今の現実を生きていくしかない」わけですから「あの頃はこうだった…」と言っても仕方ないでしょう。
さらに進むと、細い川の上に架かる橋がありました、銘板を見ると「さんりかわきたはし」とありました。
東西に架かるこの橋の南側を眺めると、橋の上に四角い覆いが被さっている何かの施設を見つけました。
その時は「何だろう?」と思いながら通過しましたが、帰宅後ネットで調べてみると「札幌交通局高速電車東車両基地」といって札幌地下鉄の定期分解検査なども行われる車両基地なのだそうです。
※ ウィキペディアフリー百科事典「北海道道1148号札幌恵庭自転車道路 」、「北広島市ウェブサイト『エルフィンロード』」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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