『北海道開拓の村』-開拓小屋-

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開拓小屋 こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。

 今回は,農村群の中の「 開拓小屋」を紹介します。

        (訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)

 明治終わり頃の開拓は初期的な時期で、開拓者はまず生い茂る笹や草を刈り、木を切り倒して土地を拓き小屋を建てることから始まり、生活するのに欠かせない「水」を得るために川が近い所に建てられました。

『     開拓小屋        (説明板より)
 開拓小屋は開墾小屋とも称し、移住者が最初に建てた住宅である。
 丸太を埋め立てて柱とし、桁(けた)や梁(はり)、垂木(たるき)をわたし、笹(ささ)や茅(かや)などで屋根や壁を葺ふ)き、出入口と窓にはムシロを下げた。屋内は一部が土間で、他は笹や枯草を重ねた上にむしろを敷いて居間とし、炉(ろ)を設けた。明治期のものを再現した。    

開拓小屋 開拓小屋

開拓小屋 開拓小屋

 初めは雨露をしのげ寝泊りができる程度の一時的な小屋であったようです。

 土に穴を掘り、柱を立て細い木々で屋根や囲いを作り、そこに笹や葦を張りましたが、釘は貴重なので主に縄などを使っていました。

開拓小屋 開拓小屋

開拓小屋 開拓小屋

 土間に丸太で囲炉裏(いろり)を作り、煙を出すために草屋根に穴が開けられ、物などを乾燥させるための大きな棚が縄で屋根から吊り下げられていました。

開拓小屋 開拓小屋

開拓小屋 開拓小屋

 また自在鈎(じざいかぎ)も下げてあり、それに鍋や釜、鉄瓶等を釣って煮物をしたり湯を沸したりしました。

 居間や寝間には笹や葦草などを土間に敷き、その上にムシロやゴザを寝起きをしました。

開拓小屋 開拓小屋

開拓小屋 開拓小屋

 この頃の入植者の住宅は、簡素な仮小屋「三角小屋(拝み小屋)」から「掘立小屋(開拓小屋)」へと開墾の進展によって変化していきました。

※ 拝み小屋・・・もっとも簡単な造りで、柱はなく左右から木を立て合わせた三角テントのような形(両手を合わせて拝むような形)に結び合わせ、茅(かや)や葦(よし)、笹などで屋根兼用の壁にして、出入口にはムシロを下げただけのものでした。

 掘立小屋は、四隅に穴を掘って柱を立て、屋根と壁のある簡易的な造りの「家」でした。

※ 「北海道開拓の村ホームページ」、国土交通省北海道開発局 札幌開発建設部サイト「開拓初期-暮らし・社会1【札幌開発建設部】治水100年」・『開拓初期(明治初期~明治42年頃) 6暮らし・社会』を参考にさせて頂きました。

 ご訪問頂きありがとうございました。

 

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