『札幌恵庭(北広島)自伝車道路』-厚別南緑地周辺-

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厚別南緑地 こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。

 今回は、「厚別南緑地周辺」(札幌市厚別区厚別南7丁目)の様子を紹介します。

         (訪問日:2019年(令和元年)6月上旬)

 「エルフィンロード」(北広島市区間)から「陽だまりロード」(札幌市厚別区区間)へ進み、「厚別南緑地」という林の中へ進んできました。

上野幌駅 上野幌駅

上野幌駅 上野幌駅

 上野幌駅(かみのっぽろえき)のようすです。

 天気が良く空気も澄んでいたので、この辺りからでも建物の間から恵庭岳(えにわだけ)が垣間見えていました。

サイクリングロード サイクリングロード

北海道百年記念塔 北海道百年記念塔

 遠くにニョッキリとそびえ立っている「北海道百年記念塔」の姿が見えていました。

 「厚別南緑地」は、国道274号線から北の方へ数百メートルほど続く大きな公園です。

恵庭岳遠望 恵庭岳遠望

 木々の間・建物の屋根の上に恵庭岳の特徴的な姿が見えていました。

厚別南緑地 厚別南緑地

 立派な住宅が所狭しとびっしり立ち並び、その一角に大きなコンクリート製の「厚別南緑地」の表示物があり、そこから南方向へ緩やかな上り傾斜のスロープが延びています。

厚別南緑地 厚別南緑地

厚別南緑地 厚別南緑地

 厚別南緑地北側にある入口からスロープを上っていきました。

 50メートルほど登っていくと、広場があり東屋、水飲み場、トイレ(トイレットペーパーはありません)もありました。

厚別南緑地 厚別南緑地

厚別南緑地 厚別南緑地

 旧上野幌小学校跡を利用した公園です。

 広場の端にこの公園の由来が綴られた看板があり、それによるとこの場所には以前「上野幌小学校」があったそうです。

旧上野幌小学校解説板 旧上野幌小学校解説

『   上野幌小学校発祥の地     (解説板より)
 野津幌(現 上野幌)の地に開拓の鍬が入れられ十余年が経過した明治三十三年十月、上野幌小学校の前身である白石村野津幌い簡易教育所がこの地に設置され、以来九十年の歳月が流れた。
 当時、学校の敷地や校舎は、地域住民の貴重な寄贈や寄付により実現した。
 その後
明治三十四年  白石村野津幌尋常小学校
昭和 十六年  白石村野津幌国民学校
昭和二十三年  白石村立野津幌小学校と改称され、
昭和二十五年  現校名となった。
 この間、幾多の有為な人材を輩出した本校は、児童数の急激な増加のため昭和五十三年、人々に惜しまれながら北西四百メートルの現在地に移転した。

 この碑は、上野幌小学校開校九十周年に当たり、先人の偉業を讃え永く校跡をとどめるために、建立された。
  平成元年十月二十八日
 上野幌小学校の教育目標
明日を拓く、たくましい上野幌の子ども

平成二十三年 札幌市厚別土木センター再設置

     ※ 他に、校歌と当時の校舎配置図が描かれています。       』

厚別南緑地案内板 厚別南緑地案内板

 ぐるり見回してみますが、小さな校舎なら建てられるかな…?、子供達が元気に走り回れるような校庭などとてもとても望めるような広さはないような…。(少なくても私にはそう思えました)。

厚別南緑地 厚別南緑地

厚別南緑地から小径へ 厚別南緑地から小径へ

 地面をよく見ると、昔校舎があった頃の教室などの間取りが描かれていました。

厚別南緑地から小径へ 厚別南緑地から小径へ

炭焼窯 炭焼窯

『   炭焼窯(複製)     (解説板より)

 ここは、昔炭焼窯があった所です。
 北海道へ渡ってきた開拓者は、この様な炭焼窯で炭を作り現金収入を得ていました。
 ここに、当時の炭焼窯を擬?で縮小し複製しました。     

 周囲を住宅や道路などに囲まれた緑地、自然林がそのまま残されていて野鳥やキタキツネ、昆虫類などの野生生物が生息しています。

陽だまりロード 陽だまりロード

陽だまりロードの橋の上から 陽だまりロード橋の上から

 国道274号線沿いにある厚別南緑地南側にある入口を橋の上から見ました。

 緑地の南側・国道274号線沿いからサイクリングロードに直接上がれる通路の入り口もあります。

陽だまりロード 陽だまりロードの橋

陽だまりロードの橋の上から 陽だまりロードの橋の上から

 厚別南緑地から北広島方向寄り手前にあるもう一つの橋の上からの様子です。「厚別東通」につながっている広い道路の上に架かるJRの橋の左手に「上野幌駅」があります。

 学校跡地から林の中を小径が何本か通っていて、サイクリングロードにも繋がっています。

陽だまりロード 陽だまりロード

陽だまりロード 陽だまりロード

 先へ進んでいくと林の中に入り、キラキラと木漏れ日が差し込んでいる中に休憩所がありました。ベンチの傍には「サイクリングロード」を紹介している解説板がありました。その中には、「旧千歳線」に関する解説もありました。

 その中には、「炭焼窯(複製)」があり、明治時代にこの地に入植してきた人々の生活の様子を今に伝えています

陽だまりロード 陽だまりロード

「旧千歳線」解説版

『   旧千歳線         (解説板より)
 大正15年(1926)8月、北海道鉄道株式会社により進められていた沼の端~苗穂間の札幌線鉄道建設が、6年の歳月を経て完成した。沿線の胆振・十勝。石狩地域は、木材・薪炭(しんたん)の・石炭・クローム鉱などの資源が豊富であったことから、この鉄道は資源開発の使命を帯びたものであった。鉄道沿線白石村内には、東札幌・月寒・大谷地・上野幌などの駅が開業した。
 昭和18年(1943)8月には、戦時下のおける陸上交通網の整備と強化のため私鉄の買収が行なわれ、当時海軍飛行場があった千歳を拠点に国鉄千歳線として改変された。
 昭和48年(1973)9月には、新しい幹線(現JR線)が開通したことから旧千歳線は廃線となり、翌年の昭和49年(1974)8月、その路線跡に白石サイクリングロードが誕生した。
 平成20年(2008)4月、厚別区間の愛称を募集し、陽だまりロードと名づけられた。    』

※ ウィキペディアフリー百科事典「北海道道1148号札幌恵庭自転車道路 」、「北広島市ウェブサイト『エルフィンロード』」を参考にさせて頂きました。

 ご訪問頂きありがとうございました。

 

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