『道南の旅』-江差姥神町横山家-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「江差姥神町横山家(えさしうばがみちょうよこやまけ)」(桧山郡江差町字姥神町45)です。
(訪問日:2019年(令和元年)8月上旬)
道南の旅も今回で「江差町」までやってきました。
江差町は北海道の中でも古くから和人が訪れ、早くから開港した港町の一つです。
17世紀以降に日本海航路の北前船が往来し、檜材(ひのきざい)とニシン漁、ニシン取引で栄えたこの町には多くの歴史的・文化的遺産が残されています。
江差町では、この美しく貴重な景観を後世に永く伝えていこうと問屋や蔵、社寺などの歴史的建造物や史跡、旧跡などを整備し、その旧国道沿いの一帯を「いにしえ街道」と名付けています。
横山家の初代は天明6年(1786年)漁業・商業・回船問屋を営んでいて、230年余りが経過しています。
現在に残っている建物は、約160年前に建てられた家屋で、昭和38年(1963年)に北海道の文化財指定を受けました。
母屋(おもや)と四番倉には鰊漁業全盛期の頃に使用されていた生活用具などが陳列され、当時の暮らしの様子を今につたえる貴重な建物の一つです。
尚、平成30年6月より休館となっていて、私が訪れた時も残念ながら中の様子を見ることはできませんでした。
『 道指定有形民俗文化財(昭和三八年一二月二四日指定) (説明板より)
江差姥神町横山家
横山家は、江差がニシン交易で繁栄していた約二五〇年前の明和六年(一七六九)に、能登半島の珠洲から初代宗右衛門が江差に渉り、文政五年(一八二二)から現在までこの場所で商いを続けている。
母屋など建物七棟と生活用具一四八点が道文化財に指定され、往時の江差商家の建築様式と生活の様子を現在に伝えている。
平成二九年 江差町教育委員会 』
横山家の近くには、鎌倉時代に創建されたと伝えられる「姥神大明神」があります。
神社の由来は、江差にニシンを招いた「折居様」という老女(姥)を祀ったのが始まりだそうで、正保元年(1644年)に現在地に移転し、文化14年(1817年)正一位姥神大神社宮号を勅許された北海道最古の神社です。
『 姥神町山車蔵(?北山土蔵) (説明板より)
ここ姥神町の地名は、産土神(氏神)姥神大神宮(創立年不詳、一説に文安4年(1447年)創立という)が、津花町から現在地に正保元年(1644年)に遷座したことにより付けられた名前で、江差港湾の中枢に位置し、江差草創の地と言われおります。
宝暦期(1750年)までは、有力者は近江商人が大部分を占め、問屋・小宿・廻船業者・大手商家が店舗を構え経済に中心地を形成し、寛政期(1790年代)には、地内の江差地場大手商人(主として能登・越後地方から渡来した定着した商人)が台頭して、江差経済を左右するまでに成長し、北前船取引の最盛期から明治中期の終焉を迎えるまでの歴史の舞台となっておりました。
この蔵は、明治初期に、艀(はしけ)業を営んでいた「中一」の屋号を持つ北山家住宅の文庫蔵として利用され、現在地より、もう少し姥神大神宮寄りに建てられていましたが、前所有者故北山憲一さんより、姥神大神宮渡御祭(毎年8月9~11日開催)の姥神町豊年山の山車を格納できるように移築改造されたものであります。
平成15年2月にご遺族の大重恵子さん(千葉県在住)から先祖の遺徳を偲び土地・建物に寄附改造されたものであります。
北山家では、元々、北前船などの喫水の浅い和船用の荷物の取次ぎをしていたと思われますが、艀自体は、喫水が深く港内に入りづらい為沖合に停泊する貨物船の荷物の受け渡しを主業務としていました。
平成15年4月 江 差 町 』
毎年8月には豊作・豊漁・無病息災を祈るお祭りが行われ、13台の絢爛(けんらん)な山車が町を練り歩く巡行が見どころです。
横山家の建物の隣には、その山車の一つが格納されている「姥神町山車蔵」があります。
※ ウィキペディアフリー百科事典「姥神大神宮 」、「江差町観光コンベンション協会サイト・いにしえ街道」、「江差町役場サイト・横山家」、「檜山振興局サイト・横山家」などを参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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