『北海道開拓の村』-旧小川家酪農畜舎-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「 旧小川家酪農畜舎」(きゅうおがわけらくのうちくしゃ)を紹介します。
(訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)
この畜舎(ちくしゃ;家畜を飼うための建物)は、大正末期に札幌農学校出身の小川三策がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建築したものです。
19世紀のアメリカで発達したバルーンフレーム構造が特徴です。
横に立っている軟石サイロは、後に厚別の農家より譲り受けて移築したものです。
『 旧小川家酪農畜舎 (説明板より)
北海道で酪農が盛んになった大正末期の牛舎の内部である。当時、牛の寝床は牛房とよばれた。ここでは前列に9頭、後列に3頭を、搾乳牛と育成牛にわけてつないでいた。牛飼いは乳牛の腹の下に入り、手しぼりでバケツに搾乳した。
生乳は綿布で漏され、輸送缶に詰め直ちに冷却された。敷わらや糞はマニュアフォークで孤輪車に積み、舎外へ積んだ。 』
↑ この牛の親子はサービス精神旺盛で、じっとしてくれてちっとも動かず写真撮影にはバッチリです!
『 搾乳とお産 (説明板より)
朝夕2回の搾乳は酪農家の作業の中心であった。1回の搾乳で、乳の脂肪分は搾り進むにつれて多くなる。脂肪分が多く濃厚な乳を残さないように、最後の1滴まで搾乳しることは、高品質の牛乳を得るため、乳牛の病気を防ぐためにも重要であった。
普通、牛は2~3歳で初産した。ほとんどの牛は助けなしで子牛を産むことができ、酪農家が世話をしたが、難産の時は獣医が助力した。 』
『 乳製品製造業の発達 (説明板より)
北海道では、明治中期以降に乳用牛が増加するにつれて、バターやチーズ、練乳などの加工品の製造が盛んになった。当初から、主要な商品は価格が高い飲用向け生乳でたったため、乳製品にの製造には、市場の需要を越えて生産された余剰乳をまわすようになった。現在では、生乳を原料に、多様な製品が作られている。 』
『 北海道の酪農業のあゆみ (説明板より)
北海道の畜産は、幕末の箱館開港にともなう外国船向けの肉牛の飼育に始まる。明治時代になると、開拓使は東京の第三官園で輸入牛の飼育試験を行ったのち、畜産を北海道に導入し、お雇い外国人の指導のもとで基礎を作った。
↑ 畜舎内のこの牛たちもジッとしてくれて微動だにしません! ハイポーズッ、パチリ!!
明治6~8年(1873~1875)には、官営の牧場や試験場でバターやチーズなどが試作されている。大正時代には、北海道庁は、酪農先進国であったデンマークから混合農業と組合制度による酪農経営を導入した。 』
※ 「北海道開拓の村ホームページ」等を参考にさせて頂きました。
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