『北海道開拓の村』-旧信濃神社-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「旧信濃神社(きゅうしなのじんじゃ) 」を紹介します。
(訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)
旧所在地(現・信濃神社;札幌市厚別区)は、長野県からの出身者が多かったため「信濃開拓地」と呼ばれていました。
この神社は1897年(明治30年)に建てられ、郷里の「諏訪神社」と同じ神様を祀ったので、この名が命名されました。
社殿は、間口が2本の柱で構成される「一間社流造り(いっけんしゃながれづくり)」という様式です。
「流造り」とは日本の神社建築様式の一つで、屋根が正面にむけて流れるようにおりてきて、正面の柱間が一間(柱が2本)であれば「一間社流造り」、三間(柱が4本)であれば「三間社流造り」といいます。
※ 間(けん)・・・昔の長さの単位「尺貫法(しゃっかんほう)」で、現在のメートル法に換算すると約1.81mです。住まい関係の世界では、いまだに昔の長さや面積の数え方が残っています。畳1枚を1畳(じょう)、2枚分を2畳=1坪(つぼ)といい、1坪は一辺が一間(1.81m)の正方形(面積約3.3㎡)をしています。
伊勢神宮に代表される「神明造り」から発展し、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ、通称:上賀茂神社(かみかもじんじゃ)、京都市北区、ユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」に登録)等に代表される様式です。
『 旧信濃神社
間口が2本の柱で構成される、「一間社流造」という様式で、神社によく用いられる。
旧所在地は、長野県諏訪地方の出身者が多かったので信濃開墾地と呼ばれ、神社を建立するにあたって、郷里の諏訪大明神の御分霊をいただき、信濃神社と命名した。 (説明板より) 』
『 旧信濃神社
開拓のために入籍した移住者達は、数年の間苦しい開墾生活に耐えなければならなかった。信濃神社は建立以来長い間、移住者の心の支えとなり望郷の想いをなぐさめてきた。春祭りは5月15日、秋の例大祭は9月15日だった。獲り入れが一段落した秋のお祭りは、つらい農作業を過ごした村人にとって、数少ない娯楽の場であり、盛大に行なわれた。 (説明板より) 』
※ ウィキペディアフリー百科事典「 流造り」・「賀茂別雷神社 」、「北海道開拓の村ホームページ・旧信濃神社」等を参考にさせて頂きました。
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