『道南の旅』-有島武郎文学碑・弁慶の刀掛岩(岩内町)-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「有島武郎文学碑・弁慶の刀掛岩(べんけいのかたなかけいわ)(岩内町)」を紹介します。
私はこれまでに岩内町を通る雷電国道を何度も走ってきましたが、今回初めて「有島武郎文学碑」と「弁慶の刀掛岩」(風景の一部として見ていたとは思いますが…)に出会いました。
↑上の画像:案内看板と文学碑後方にある「カスぺトンネル」(638m)の出入口
前々回紹介しましたように私は雷電野営場があった場所を探していました。
その際に、今は廃墟となっている「ホテル雷電」の近くにある「ニセコ積丹小樽海岸国定公園 雷電温泉駐車場」の案内看板を見てこの「有島武郎文学碑」のことを知りました。
有島武郎文学碑
看板にあった地図に従って「有島武郎文学碑」へ向かいました。
雷電国道の改良によってトンネル整備(延長されたり、新設されたり)が進み、以前海岸縁を走っていた道路の所々が廃止になり通行止めとなっています。
行ってみると、そんなスペースの一角に「有島武郎文学碑」がありました。
「どうしてここに有島武郎文学碑があるの?」と思っていましたが、その理由が分かりました。
有島武郎氏の代表作の一つに「生れ出づる悩み」があります。
その作品中の「君」のモデルになったのが「画家・木田金次郎氏」なのだそうです。
そして、その木田画伯はここ「岩内町」出身であることから書かれた作品を記念してこの文学碑が建立されたようです。
弁慶の刀掛岩
実は私は有島武郎文学碑を訪れた時には、まだ「弁慶の刀掛岩」のことは知りませんでした。
40年近く前に雷電野営場に来た時には、きっと通ったはずの旧道の様子を見たいと思いました。
幸いそこには「立入禁止」の看板はなかったので、さらに奥の方へ行ってみました。
行ってみると、道路縁の防波堤から海沿いの岩場に下りられるようになっていて、数m先にはゴツゴツとした大きな岩がその存在感を醸し出していました。
それを見て、私はてっきりそのゴツゴツした岩が「弁慶の刀掛岩」だと思ってしまいました。
↑上の画像右:嵐電岬の突端に海面から尖った形の岩が突き出ているのが「弁慶の刀掛岩」
防波堤から大きな岩まで人が通った痕跡が残っていましたので、それを辿って進んで行きました。
↑上の画像:さらに先の方へは「通行止め」になって「立入禁止」でした。
その途中で柱が折れて地面に倒れている案内板を見つけました。
読んでみると、「雷電」の地名や「弁慶の刀掛岩」のいわれについて書かれていました。
↑上の画像:カスぺトンネルの北側(岩内町市街地寄り)の一つ手前にある「弁慶トンネル」の出入口
『 この海岸一帯は雷電海岸と呼ばれ、豪放な景観で知られる。
義経主従がコタンのアイヌ人の人びとに別れを告げるさい「来年、きっと帰ってくる」と約束したところから「らいねん」が転化して「雷電」と名づけられた。
岬の突端の尖った岩は弁慶がひと休みのとき、弁慶の刀が大きすぎて置くことができないため、岩をひねって刀を掛けたと伝えられるところから、「弁慶の刀掛岩」と呼ばれるようになった。
岩内観光協会 』(「案内看板」より引用)
↑上の画像:地入禁止柵の手前にある駐車スペースから「弁慶の刀掛岩(雷電岬)」を望む
その看板を見て「ここが『弁慶の刀掛岩』なのだ」と思い込んでいたのが大きな間違いだったことが分かりました。
私は思いました、「この旧道がメインストリートとして活躍していた頃、ここが『弁慶の刀掛岩のビューポイント』で多くの人々が車を停めては眺めたことだろう」と。
※ 「 岩内町公式ホームページ『有島武郎文学碑』、『弁慶の刀掛岩』」を参考にさせて頂きました。
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