『小樽散歩』-小樽市総合博物館・屋外展示⑥-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、前回に引き続き「小樽市総合博物館・屋外展示⑥」(小樽市手宮1丁目)を紹介します。
小樽市総合博物館は、「旧小樽交通記念館」に「小樽市博物館」と「小樽市青少年科学技術館」を統合して平成19年(2007年)7月に開館した施設です。
今回も本館建物のすぐ傍に屋外展示してある列車などを紹介していきます。
ヨ7904(国鉄ヨ6000形貨車)
かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍していました業務用貨車(車掌車)です。
居住性の改善と慢性的な緩急車不足に対応するために1962年(昭和37年)から1969年(昭和44年)にかけて905両が製造(ヨ6000~ヨ6870、ヨ6900~ヨ6915、ヨ7900~ヨ7917)されました。
7900番台は耐寒構造で北海道向けに制作された車両で、18両が製造されました。
※ 車掌車は原則として列車の最後尾に連結され、車掌が乗務して運行中の車両検査や事故時の列車防護措置を行っていました。
※ 車掌車は基本的に二軸車で、車内には事務机・長椅子・だるまストーブ及び石炭置き場が設置されていました。
国鉄は1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正で貨物列車の運行を原則1人乗務化して列車掛(貨物列車に乗務する普通車掌が分離された新設職制)の乗務が廃止、列車掛の職制も1986年(昭和61年)に廃止されました。
チキ6141(国鉄チキ6000形貨車)
日本国有鉄道が1977年(昭和52年)から1981年(昭和56年)にかけてコキ5500形から改造製作された貨車(長物車:ながものしゃ)です。
当時余剰していたコキ5500形は、車体長が長く長物車に改造することになり、422両(チキ6000~チキ6421)が製作されました。
操重車(そうじゅうしゃ)の控車(ひかえしゃ)として「チキ6141」が使われました。
※ 操重車とはクレーンを搭載した鉄道車両で、その用途としては「貨物操車場などにおいて貨物を取り扱う」、「保線作業や建設工事に用いる」、「事故発生時の復旧作業」があります。
※ 控車としての用途はいくつかありますが、チキ6141は操重車の回送時にクレーンブームを収納するための車両として使われました。
救援車(きゅうえんしゃ)
救援車とは事業用鉄道車両で災害・鉄道事故や除雪現場などに出動し、枕木等の応急復旧資材や工作機械の保管・運搬、作業員の休憩所代わりに用いられます。
日本国有鉄道(国鉄)では戦前から「非常用車」(客車)や救援車代用貨車がありましたが、1953年(昭和28年)に独立した車種に制定されました。
事故が起きてから準備をするのではなく、事故発生時に迅速な復旧作業ができるように予め機材を積んだ鉄道車両を常備しておいたものが救援車です。
※ 事業用車とは、線路の維持管理や乗務員の訓練などのための営業に供しない鉄道車両(乗客や荷貨物を乗せない車両)の総称です。
ワフ29984(国鉄ワフ29500形貨車)
国鉄ワフ29500形貨車は、1あ955年(昭和30年)から1961年(昭和36年)にかけて日本国有鉄道(国鉄)が運用していた貨車(有蓋緩急車)です。
昭和30年代の国鉄ローカル線には、貨車に緩急車設備を追加したワフ(有蓋緩急車)が多く使われていました。
※ 緩急車とは列車にブレーキをかけるための装置が取り付けられた車両です。
ローカル線では貨物量が比較的少なく、機関車もC11形やC12形の小型の機関車であることが多く、牽引定数(機関車が一度に牽引できる列車重量を表す数値)が大きくなかったことから1両で車掌車と有蓋車を兼ねられる有蓋緩急車はうってつけの存在でした。
ワフ29000形は貨物積載量7tと車掌室面積の確保を両立させていましたが、デッキがなかったため使用する際の不便さが現場から指摘されていました。
そこで、本ワフ29500形では貨物積載量を5tとして、デッキも備えた上で車掌室もある程度の広さを確保した設計となっています。
廃車後の車両は一部で保存されていますが、他には無人駅の駅舎に転用されたり、一般に売却されて事務所・倉庫等に転用されたりしているものも多くあります。
JR北海道・日高本線の鵜苫駅々舎(うとまえきえきしゃ)として利用されているものもあります。
※ ウィキペディアフリー百科事典「国鉄ヨ6000形貨車 」、「国鉄チキ6000形貨車」、「救援車」、「国鉄ワフ29500形貨車」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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