『道北の旅Ⅱ』-苫前町郷土資料館-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「苫前町郷土資料館(とままえちょうきょうどしりょうかん)」(苫前郡苫前町字苫前393番地の1421)を紹介します。
以前に留萌駅を訪問した際、待合室に掲示されていた「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」の記事を読み、その事件現場の苫前町三渓六線沢(とままえちょうさんけいろくせんさわ)に「三毛別羆事件復元地」があることを知りました。
そこへは昨年(2018年)の春に行ってきましたが、その時の様子を書いたのが既出の「三毛別羆事件復元地」です。
※ 三毛別羆事件・・・1915年(大正4年)に、熊の獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件です。エゾヒグマが数度にわたって民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負いました。襲った熊が射殺されたことで事件は終息しました。
また、事件についての詳しい資料が苫前町の「郷土資料館」に展示されていることも知りましたので、近くを通る機会があったらぜひ訪問してみたいとかねがね思っていました。
そこで今回の「道北の旅」(利尻山(利尻富士)登山、利尻・礼文島観光地巡り)で、再び苫前町を通りましたので立ち寄らせて頂いたという次第です。
小平町から国道232号線を北上し苫前町市街地に入り、郵便局前の十字路交差点で右折をし、道道582号線に入ります。
後は、道なりに進み、突き当りに見えてくる古い建物が本館です(他の町道を通っても行くことはできますので)。
1928年(昭和3年)に町役場として建てられ1984年(昭和59年)まで使われていましたが、新庁舎ができると郷土資料館として運営され現在に至っています。
郷土資料館
建物のほぼ中央辺りに入口があり、中に入るとその正面辺りに受付の事務所があります(展示物の陰になって分かりづらいかもしれません)。
事務所を中心に左右に分かれて各展示場があります。
向かって右側の展示場には、苫前町の歴史や文化などに関する展示物があります。
昔の漁具や農具、生活用品などがたくさん展示されていて、昭和30年代生まれの私にとっても懐かしさを感じさせる物が多く目につきました。
向かって左側には、アザラシや鹿などのはく製、遺跡から発掘された土器などが多数展示されています。
その中で何といっても目を引くのは、先にも触れましたが「三毛別羆事件の資料」に加えて迫力ある大きな「羆のはく製と事件現場の再現セット」です。
何体かのはく製が展示されていますが、その中でもひときわ大きく目を引いたのが日本最大の羆とされる「北海太郎」で、体長2.43m、体重500㎏(私も「ヒト」の中では軽い方ではありませんが全く及びません!)、後ろ足裏の長さ27cm、18歳のオスだそうです。
1980年(昭和55年)、北海太郎は羽幌町の山中で冬眠しているところを発見され射止められました。
受付の前辺りにも1985年(昭和60年)に捕獲された「渓谷の次郎」のはく製がありますが、こちらは体重350㎏ということです。
羆事件ついてのパネルや写真、図が展示されている中でひときわ目に飛び込んでくるのが、「今まさに羆が民家の壁を破り襲おうとしている様子を再現した展示物」です。
最近ちょくちょく山登りに出かけている私としては、「あんな大きなヒグマに時速60㎞近いスピードで迫って来られたら…」と思うと、生きた心地がしませんし想像だにしたくもありません。
あとちょっと気になったのが、「利尻島に泳ぎ渡った羆」が射止められた時の写真です。
昨年(2018年)5月に「106年ぶりに羆の上陸が確認された」というニュースが報道されました。
その時は、「へェ~、海を泳いで島に渡ったんだ…」くらいの他人事のようにしか思っていませんでしたが、いざ今回その利尻島へ行くとなってみると、「その後、あの羆はどうなったのか?」と心配になってきました。
今年(2019年)6月初めに、『北海道や利尻、利尻富士町両町が「6月末をめどに終息宣言する方針」と決めた』というニュースが流されました。
「よっしゃ、大丈夫だ!」と安心し、さらに利尻町のホームページを見てみると、6月28日付で「利尻島におけるヒグマ生息の終息宣言について」というお知らせも載っていました。
※ 羽幌線・・・日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線で、留萌市・留萌駅で留萌本線から分岐して日本海に沿って北上し幌延町・幌延駅で宗谷本線に接続していました。1987年(昭和62年)に全線が廃止されました。
古代の里
郷土博物館の傍に「古代の里」があります。
古代の里では、「縄文文化(じょうもんぶんか)の家」、「擦文文化(さつもんぶんか)の家」、「アイヌのチセ」という昔の住居3棟が復元され展示されています。
縄文文化の家は、紀元前3000年の頃の竪穴住居で、平面形が楕円形で中央に石組炉、出入口が外へ張り出していますが、屋根の形・柱の数や位置・炉の有無などは様々だったようです。
擦文文化の家は、紀元10世紀頃の住居で、平面形が正方形で、中央に炉、壁にカマドがあること、主柱が4本であることが特色です。調理用のカマドは北海道ではこの時代にしか見られないそうです。
アイヌのチセは北海道などの先住民族であるアイヌの伝統的な住居で、平面形は長方形であること、材料には全て木や草を使い釘は一切使われていないことが特色です。
※ 苫前町ホームページ「苫前町郷土資料館 」、「古代の里」、フリー百科事典ウィキペディア「チセ」、「三毛別羆事件」を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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