『北海道開拓の村』-旧土屋家はねだし・旧秋山家漁家住宅-
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今回は,「 旧土屋家はねだし・旧秋山家漁家住宅(きゅうあきやまけぎょかじゅうたく)」を紹介します。
旧土谷家はねだし
「はねだし」とは、鰊漁家の付属施設として海岸の地形に合わせて海側へはね出す形で建てられた倉のことです。
さらに床には開口部が設けられていて、そこから直接荷物の出し入れを行えるようになっています。
漁具や漁獲物、漁粕・身欠きにしん・数の子などの加工品を収納するために使われました。
この建物は、爾志郡(にしぐん)熊石町(くまいしちょう:現・二海郡八雲町(ふたみぐんやくもちょう))根崎のニシン漁家土屋家の倉庫です。
旧秋山家漁家住宅
「秋山嘉七」は、明治末期に秋田県男鹿半島(あきたけんおがはんとう)から移住してきました。
ニシン漁が繁栄していた時期に苫前郡羽幌町大字焼尻字白浜(焼尻島:やぎしりとう)に建てた住宅(1920年(大正9年))です。
3代にわたりニシン刺網漁(さしあみりょう)や磯廻り漁(いそまわりりょう)などを続けながら1978年(昭和53年)まで住んでいました。
※ 磯廻り漁
「磯廻り漁」あるいは「磯廻り漁業」で検索してみましたが、私の検索力が未熟なせいで「磯廻り漁とは、…」という確かな定義が見つけられませんでした。
「磯」というのは、「砂浜」に対して「岩石海岸」のことを「磯あるいは磯浜」というそうです。
岩礁性の海岸は海藻を初め魚介類の生息地に適しており、古来から水中を覗きながら「もりややす等」の道具を使った磯漁(沿岸漁業)が行われてきたそうです。そうした漁のことを「磯廻り漁」というのかもしれません(不確実な記述になってしまい誠に申しわけありません)。
建物は、洋風の棟飾りをもつ「寄棟造り(よせむねづくり)」です。
※ 寄棟造り
屋根形式の一つで、4方向に傾斜する屋根面をもつものをいいます。4方向に勾配をもち長方形の平面で妻側(棟(むね:屋根で一番高い場所にある稜線の部分)に直角方向に並行材が渡される両側面(壁)のこと)の三角形の屋根と平側(棟に並行方向に並行材が渡される両側面(壁)のこと)の台形の屋根から構成されます。
寄棟造りの建物の例を挙げますと、正倉院(奈良県)や東大寺大仏殿(奈良県)の屋根があります(スケール的には、かなりの違いがありますが構造的には同じなのだそうです)。
※ ウィキペディアフリー百科事典「 旧土屋家はねだし」、「旧秋山家漁家住宅」、「寄棟造り」「北海道開拓の村ホームページ」等を参考にさせて頂きました。
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