『道東の旅Ⅱ』-「アトサヌプリ」(硫黄山)-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「硫黄山」(川上郡弟子屈町)を紹介します。
前回紹介しました「摩周湖第3展望台」を後にして、次の目的地「硫黄山」へ向かいました。
弟子屈町から北に14㎞、川湯温泉から約3㎞、摩周湖から車で約25分程で、摩周湖と屈斜路湖の間に位置しています。
標識に従って進んで行くと広い駐車場の入口に着きました。
ここは有料ですが摩周湖第1展望台との共通券で、私は第1展望台で払いましたのでその券を見せるだけで駐車OKでした。
※ 硫黄山へ向かう道道52号線の路上で出会ったキタキツネ
私も「硫黄山」と呼んでいたその名前は通称で、正式には「アトサヌプリ」(標高512m:活火山)ということを今更ですが知りました。
その名前の由来は、アイヌ語の「アトサ(裸)・ヌプリ(山)」です。
※山と山の境目、噴煙が盛んに上っている辺りが「熊落とし」と呼ばれている「火口跡」です。以前に落石事故があり、現在は立入禁止となっています。
摩周湖と屈斜路湖の間にある硫黄山辺りの地域のことを「摩周・屈斜路・アトサヌプリカルデラ」というのだそうです。
「カルデラ」とは、火山の活動によってできた凹(へこ)んだ土地のことです。
「アトサヌプリ」の直ぐ横(向かって右側)に高さが同じくらいの山があり、通称「かぶと山」と呼ばれている「マクワンチサップ」(標高574.1m)です。
さらにまた右側の少し離れた所に、通称「ぼうし山」と呼ばれている「サワンチップ」(標高520m)があります。
この三つの山は、「屈斜路カルデラ」の「アトサヌプリ溶岩円頂丘群(ようがんえんちょうきゅうぐん)」に属している「溶岩円頂丘」(溶岩ドーム)で、昭和新山や樽前山の溶岩ドームと同じ構造なのです。そして、この地域には他に7つもあるそうです。
※ 詳しくは、「川湯エコミュージアムホームページ・『摩周・屈斜路・アトサヌプリカルデラの成り立ち』」を参照ください。
道東地域には、ここの硫黄山「アトサヌプリ」の他に知床(しれとこ)にも「硫黄山(いおうざん)」(「知床硫黄山」とも呼ばれる、イワゥヌプリ:1563m)があり、どちらも「活火山」です。
名前は違いますが、同じ活火山としては「雌阿寒岳(めあかんだけ、マチネシリ:1499m)」があります。
「硫黄山」、「知床硫黄山」、「雌阿寒岳」、この三つの山に共通していた事柄の一つに、「その生産量が道内で有数の硫黄の産地だった」ということがあげられます。
硫黄は、鉄砲伝来以降は「火薬の材料」になり、江戸時代には「火を起こす時に使われる付け木」に用いられました。
明治の世になり産業革命・殖産興業の時代に入ると、中国等外国への輸出、主要輸出品であった「マッチ」の材料としても大量に使われるようになりました。
他にも肥料や農薬、医薬品、漂白剤、ゴムの添加剤に使われる等、その需要はどんどん広がっていきました。
※ 所々に温泉水が湧き出している所がありました。ぐつぐつと煮えたぎっている様子で、手で触れてみようという気にもなりませんでした。
硫黄山での硫黄に採掘は、明治5年(1872年)頃に釧路の漁場持・佐野孫右衛門を発端として、明治18年(1885年)に函館の銀行家・山田慎に事業が受け継がれます。
彼は、釧路集治監(くしろしゅうじかん:今でいう刑務所、現・標茶町)から多くの囚人を雇い入れ採掘・運搬等の過酷な労働に従事させました。
※ 「アトサヌプリ」(硫黄山)は絶えずガスが噴き出しているため土壌が酸性化し、それに適した植物しか育ちません。その周辺はまさに「裸の山」状態でした。
※釧路集治監等で行われた「囚人労働」について、詳しくは『弟子屈町観光情報ポータルサイト「弟子屈なび」・硫黄山』、『博物館 網走監獄「囚人が開いた土地」』を参照ください。
明治20年(1887年)には、銀行家で安田財閥の創始者である安田善次郎が経営に加わり、硫黄山から標茶まで道内で小樽・手宮-札幌間に次ぐ2番目の鉄道を開通させました。
その後、標茶に硫黄の精錬所を建設するなど規模を拡大させていきましたが、生産量が激減したため明治29年(1896年)に採掘事業を中止し、「安田鉄道」も北海道庁へ買い取らせてしまいました。
安田善次郎が採掘を休止した後も様々な経営者によって事業を続けていましたが、昭和38年(1963年)「跡佐登硫黄鉱業(あとさのぼりいおうこうぎょう)」による休山を最後に硫黄採掘は行われなくなりました。
エネルギーが「石炭から石油に」代わっていったように、硫黄の生産も「鉱石等の精錬から石油精製過程での硫黄回収へ」と移り変わり、昭和40年代半ばには国内の硫黄鉱山は全て閉山となったそうです。
さて、「温泉」、「火山・火口」といって思い浮かぶのは「温泉卵?」ではないでしょうか!
「温泉卵」というと黄身は半熟で、それを取り巻く卵白は半凝固状態のもの…?とすると、ちょっと違うのですが・・・。
というのも、ここ硫黄山にも『名物の卵』があるんです。それは、「硫黄山レストハウス」で売っている「温泉卵」です。
今回ここを訪れた時は午後4時頃で、「まずは山の見学を優先していて!」と思い、ふと気づいて見てみたらレストハウスはもう閉店(営業時間;8:00~17:30)してました。
残念ながら今回は食べられなかったのですが、ネットで「今も変わらず売っているのかな?」と思って調べてみましたら、今もあるようです。
私は初めて知ったのですが、「熱々の温泉卵」の殻のむき方を記した「How to むき方」なる「指南書」まで置いてあるそうです。
何と「ガムテープ」がそのポイントとなるアイテムなんです。興味のある方はそのサイトを覗いてみてください。
見学を終え「アトサヌプリ(硫黄山)」を後にする頃には、陽はもう山の向こうに沈み見えなくなっていて周囲は夕焼け色に染まりかけていました。
明日は屈斜路湖周辺を回る予定で、弟子屈町の「道の駅摩周温泉」で今晩もまた車中泊することに決め、摩周湖と屈斜路湖の間を走る国道391号線を南に向かいました。
※ 「阿寒国立公園・つつじヶ原自然探勝路」(「説明板」より)
阿寒国立公園に位置するつつじヶ原自然探勝路は、今も活動を続けている火山を体感することができる全長2.3キロの歩道です。広大なイソツツジ群落など、火山がつくり出した川湯特有の風景を守るため国立公園に指定され、大切に保護されています。
※ 「火山と硫黄・温泉利用」(「説明板」より)
硫黄山は現在も活動をし続けている火山です。火山は美しい景観や温泉など多くの恵みをもたらしてくれます。
硫黄山の地下ちかはとても高温で、地下にしみこんだ雨や雪どけ水は温められて温泉水になります。興味深いことに、この温泉水は硫黄山のすぐそばではなく、つつじヶ原の地下を約2.7キロも流れて川湯の街で湧き出しています。硫黄成分を豊富に含んだ強酸性の温泉水は、硫黄山から流れ出てきたものなのです。
※ 「おすすめ散策コース」(「説明板」より)
ハイマツ展望コース
ハイマツデッキまでの片道0.8キロのコースです(所要時間約15分)。展望台から、つつじヶ原全体を見渡すことができます。
※ 「川湯エコミュージアムセンターコース」(「説明板」より)
川湯エコミュージアムセンターまでの2.7キロのコースです(所要時間約70分)。硫黄山から川湯温泉までの植物の移り変わりを楽しめます。
※ 「川湯エコミュージアムセンター」(「説明板」より)
川湯の自然の見所の紹介や解説をしています。大人から子どもまで楽しく利用できる施設です。お出かけの前にはまずここで情報を集めましょう。
※ 『ウィキペディアフリー百科事典「硫黄山 」、「囚人道路」、「アトサヌプリ」』、『弟子屈町観光情報ポータルサイト「弟子屈なび」・「硫黄山」』『川湯エコミュージアムセンターホームページ』を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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