『北海道開拓の村』-旧福士家住宅-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は,「旧福士家住宅(きゅうふくしけじゅうたく) 」を紹介します。
旧福士家住宅は、福士成豊(ふくしなりとよ:1938年(天保9年)から1922年(大正11年))氏が明治半ばから大正11年まで居住した建物です。
『 旧福士家住宅(5)
幕末から明治にかけて、造船・通訳・気象観測・測量などの広い分野で活躍し、北海道開拓に貢献した福士成豊[天保9年(1838年)~大正11年(1922年)]が、明治半ばから大正11年(1922年)まで居住した建物である。
明治前期の洋風建築と明治後期の和風住宅を接続した特異な建物である。』
(建物前の案内標示板より)
『 旧福士家住宅
この建物は洋風木造、平屋建の部分と和風木造、平屋建(一部小屋裏中2階)の住宅分を接続したもので、和洋折衷の特異な住宅である。
西洋下見板張り、上げ下げガラス窓付きの家屋は、明治前期の洋風建築の特色をよく残し、札幌病院診察室であったともいわれ、和風住宅部分は増改築の跡がみられる。
洋風部分には福士成豊の業績、和風部分には明治~大正期の生活を展示している。』
(案内標示板より)
『 福士成豊と札幌の生活
福士成豊は、明治8年(1875)から大正11年(1922)の死去まで札幌で暮らした。彼は日本の近代化に尽くした人物の一人で、仕事面や公的な生活においては早くから欧米文化を身につけていた。しかし、私生活においては、この家屋にみられるように和風を基調とし、これに欧米の生活文化の一部を加えていくという生活をしている。当時の札幌など都市部に定着しつつあった和洋折衷型生活様式の典型的な例となっている。』
(案内標示板より)
福士成豊氏は、造船・通訳・気象観測・測量などの分野で活躍された方だそうです。地図を作るために北海道の測量をする仕事もされていたそうです。
『 台所のようす
明治中期までの札幌の一般的な食事は、飯、味噌汁、漬物に魚や野菜の煮付といったもので、台所用具も鉄鍋、釜、水がめ、かまどなど本州とあまり変わらないものであった。しかし、明治初期に開拓使が行った洋食の奨励の一部がうけつがれ、トマト、キャベツなどの西洋野菜や肉、さらにバターなど乳製品を用いる料理が明治後期から次第に普及した。一般家庭でフライパン、西洋皿、スプーンなどを使い始めたのもこの頃からである。』
(案内標示板より)
明治中頃から大正の頃までの建物ですので、洋風建築と和風建築が合わさったような建物という印象を受けました。
※ ウィキペディアフリー百科事典「旧福士家住宅 」、「北海道開拓の村ホームページ」等を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
旧開拓使爾志通洋造家 👈 今 回 👉 旧松橋家住宅
※青字部分をクリックすると、そのページが表示されます。
※これまで掲載した記事をご覧いただくには、「ホーム」ページの「インデックス」をご利用ください。