『旅・徒然に』-三毛別羆事件復元地-
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私が「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」のことを知ったのは、「留萌本線・留萌駅から増毛駅間の廃止(2016年(平成28年)12月)後に、各駅のその後の様子を取材するために「留萌駅」を訪問した時でした。
留萌駅の待合室に「ヒグマのはく製」が展示してあり、その傍の壁に「三毛別ヒグマ事件」についての説明書きが掲示してあって、それを読んで初めて知りました。
事件のあった苫前町は留萌市から国道232号線(オロロンライン)を北へおよそ40㎞ほどの所にある町です。
帰宅してから、その事件についてネットで詳しく調べてみました。ウィキペディアフリー百科事典「三毛別羆事件 」に詳しく解説されていますので、興味のある方はご覧ください。
その解説の中で、「三毛別羆事件復元地」があることも知り、機会があったら訪れてみたいと思っていました。それで、たまたま今年(2018年)4月下旬に稚内方面へ別の取材で出掛けた時に、時間に余裕がありましたので寄ってみたわけです。
前置きが長くなってしまいましたが、今回はその時の様子を「三毛別羆事件復元地(さんけべつひぐまじけんふくげんち)」(苫前郡苫前町三渓)として紹介します。
「三毛別羆事件」は、1915年(大正4年)12月に苫前村三毛別(現・苫前町三渓)で起きた日本史上最悪の被害を出した熊害(ゆうがい)事件です。
エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名死亡、重症者3名を出し、ヒグマが射殺されたことで6日間にわたった事件は終息しました。
※ 私が訪れた時はまだオフシーズンでオープン前だったようで、小屋の中などを見学することができませんでした。
日本での他の獣害として、「1878年(明治11年)札幌丘珠事件(死者3名、重傷者2名)」、「1923年(大正12年)石狩沼田幌新事件(死者5名、重傷者3名)」、「1970年(昭和45年)福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件(死者3名)」等があります。
※ 入口付近には小さなクマ?らしいものがいました。そして進んで行くと、いよいよ巨大なエゾヒグマが現れました!
ウィキペディアフリー百科事典「三毛別羆事件 」の解説の中で、「事件を記録した木村盛武氏は「ヒグマの行動」について以下のように分析している」とあります。
①火を恐れない…灯火や焚火などに拒否反応を示さない。
②執着心が強い…一度手に入れた食べ物や物(衣類やリュック等)は自分の物と認識し執拗に追う。
③逃げるものを負う…逃避するものを反射的に追ってしまう。
④死んだふりは無意味…動かないものを襲わないとはいえない。
⑤一度人間の味を覚えた個体は危険…人間の無力さと人肉の味を知った熊の個体は人間を獲物と認識するようになる。
②の例から・・・一度熊に獲られたリュックサック等を取り戻して逃げた場合、熊は自分の物を獲られたとして執拗に後を追って来るようになるかもしれません。
⑤の例から・・・「熊は人を恐れ、人を襲うのはバッタリと出会った時などにその恐怖心から」と言われていますが、一度人を襲った熊は鈴など熊除けの音を聞きつけてかえって寄ってくることも考えられます。
最近、登山の魅力にはまっている私にとっては、この「獣害」は切実な問題です。いつも山に行くときには熊除けの鈴を2~3個は必ず身に付け、時にはラジオまで鳴らしながら歩いています。
一昨年に知床五湖の地上遊歩道を見学した際、知床五湖フィールドハウスで受講したレクチャーの中でも「手を叩いたり、声を出したり、鈴を鳴らすたりして、熊に自分の存在を知らせること」が大切なこと等を教えて頂きました。
※ 小屋の裏へ回ってみました。 すると、大きなヒグマが小屋の様子をうかがっていました!
それ以来、登山の時には必ず実践するようにしています。後は、人を襲った経験のあるような熊に出会わないように祈るだけです。
※ ウィキペディアフリー百科事典「三毛別羆事件 」を参考にさせて頂きました。
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