『石北本線駅巡り』-相内駅-
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今回は、「相内駅(あいのないえき)」(北見市相内町)を紹介します。
前回紹介しました「留辺蘂駅(るべしべえき)」を後にして、国道39号線に戻り北見方面に向かいます。
留辺蘂駅からおよそ16㎞ほど進み「相内駅前」交差点を右折して進みますと、本駅々前に着きました。
駅名は地名に由ります。その地名の由来は、「アイヌオナイ」(人・多い・沢)が転訛したものとされています。
本駅の大まかな成り立ちについて紹介します。
・1912年(大正元年):鉄道院湧別軽便線(ゆうべつけいべんせん)の野付牛駅(のつけうしえき:現・北見駅)から留辺蘂駅間の開業に伴い一般駅「上相ノ内駅(かみあいのないえき)」として開業する。
・1914年(大正3年):野付牛駅から留辺蘂駅間が「留辺蘂軽便線」と改称される。
・1916年(大正5年):野付牛駅から遠軽駅から下湧別駅間が「湧別軽便線」と改称される。
・1922年(大正11年):軽便鉄道法廃止により「湧別線」に改称される。その後、遠軽駅から野付牛駅間を区分分離して「石北線」に編入される。
・1934年(昭和9年):「相ノ内駅」(2代目)に改称される。同時に「相ノ内駅」(初代)が「東相ノ内駅」に改称される。
・1949年(昭和24年):日本国有鉄道に移管される。
・1961年(昭和36年):新旭川駅から網走駅間が「石北本線」に改称される。
・1969年(昭和44年):貨物扱いが廃止される。
・時期不詳:窓口業務を民間委託化する。
・1984年(昭和59年):荷物取扱いが廃止される。その後、業務委託が廃止され、簡易委託化される。
・1987年(昭和62年):国鉄分割民営化によりJR北海道に継承される。
・1988年(昭和63年):駅舎が改築される。
・1992年(平成4年):簡易委託が廃止され、完全無人化される。
・1997年(平成9年):駅名が「相内駅」に改称される。
2面2線の単式・島式の複合ホームをもつ地上駅(無人駅)です。列車交換が可能な駅で、構内踏切があります。
※ ウィキペディアフリー百科事典「相内駅 」を参考にさせて頂きました。
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