『小樽散歩』-小樽市鰊御殿-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回から「小樽散歩」と題して新しいシリーズを始めたいと思いますので宜しくお願いいたします。
小樽の観光施設というと、「小樽運河」から「小樽駅」、「小樽ガラス」、「水族館」、「小樽港マリーナ」「オルゴール堂」等々たくさんあります。
私が「小樽」といって思い浮かぶのは、まず「石原裕次郎記念館」です。
青春真っ只中、毎回楽しみに見ていたテレビドラマ「太陽にほえろ!」、そのボス役が石原裕次郎さんでした。
そのドラマには「マカロニ刑事役」の萩原健一さん、「ジーパン刑事役」の松田優作さん等の個性派俳優が多数出演していました。ドラマの中で流れていた音楽もヒットし、そのLPレコードを今も持っています。
石原裕次郎記念館は1991年(平成3年)に開館し、昭和の大スター石原裕次郎ゆかりの品が多数展示されていました。その中には、ドラマの中で使用した車両や映画のセット、石原裕次郎の愛車、衣装・アクセサリー等もありました。
私も何回か訪問し楽しませて頂きましたが、2017年(平成29年)に建物等の老朽化のために残念ながら閉館してしまいました。
時は流れて私も社会人となり、仕事上の付き合い等で行ったスナックのカラオケでよく歌わせてもらったのが北原ミレイさんの「石狩挽歌」(1975年(昭和50年))で、その歌詞が次に思い浮かんでくることです。
その歌詞の中に「オタモイ岬」や「鰊御殿」、「古代文字」という「小樽」に因んだ言葉が出てきます。
そこでこの「小樽散歩シリーズ」では、今年(平成30年)の5月中旬に小樽手宮地区・高島地区からオタモイ海岸周辺をぶらりと訪ねてみた時の様子を、これから何回かに分けて紹介させて頂こうと思っています。お付き合いのほど宜しくお願い致します。
さて、今回は「小樽市鰊御殿」(おたるしにしんごてん;小樽市祝津3丁目228番地)を紹介します。
札幌市から余市町方面へ国道5号線を進み、小樽市街地に入りJR小樽駅前を通過し、「稲穂5」交差点で右折して道道820号線に入ります。
400m程進み、今度は「色内2」交差点で左折し道道454号線に入り「おたる水族館」のある高島岬方面へ向かいます。
※ 角網は、建網の一種で長方形の身網と、これに直角に張る垣網とからなり、ニシン・イワシなどを捕るための網です。
建網(たてあみ)は、一般に定置網(ていちあみ)と呼ばれているもので、沿岸の一定海面に漁具を移動しないように設置して漁をします。沖合に向けて魚群の通路に垣網(かきあみ)を張り、囲い網あるいは袋網(ふくろあみ)に誘導して捕る漁法です。
おたる水族館を左手に見ながら通り過ぎ、さらに祝津港・祝津マリーナを右手に見ながら進みますと小高い丘の上に見えてくるのが「小樽市鰊御殿」(鰊漁場建築)です。
さらにその向こうには、赤と白に塗られた「日和山(ひよりやま)灯台」の姿も覗いています。
小樽市鰊御殿(田中家番屋)の建物は、日本海沿岸がニシン漁で栄えていた明治30年(1897年)に積丹(しゃこたん)の綱元・田中福松によって泊村に建てられました。
昭和33年(1958年)に炭鉱会社の北海道炭礦汽船が泊村から移築し小樽市に寄贈され、昭和35年(1960年)に「北海道有形文化財・鰊漁場建築」に指定されました。
総面積が611.9㎡(185.1坪)一部二階建て北陸東北地方の切妻造の民家様式の建物です。
館内には、鰊漁や鰊加工に使われた道具、番屋で暮らした人々の生活用具や写真などが展示されています。また、半纏(はんてん)等の衣装を着用して記念写真を撮ることもできます。
田中福松は青森県出身で1854年(安政元年)に叔父の武井忠兵衛を頼って漁夫として北海道に渡りました。
雇漁夫(ヤン衆)として働きましたが場所(漁場)を買い請け独立し、鰊刺網から次第に大規模な建網(たてあみ)漁業(定置漁業)を営み成功を収めました。
全盛期には120人ほどの漁夫がこの番屋に寝泊まりし、漁期外でも30人程が常駐していたそうです。
※ ウィキペディアフリー百科事典「 小樽市鰊御殿」「石原裕次郎記念館」「太陽にほえろ!」「日和見灯台」等を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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