『道央の旅Ⅰ』-金比羅火口災害遺構散策路①-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
2008年に先進国首脳会議「北海道・洞爺湖サミット」が開催されました。その際、前回紹介しました「洞爺湖ビジターセンター」に、G8の各国首脳夫人らが訪問されたそうです。
そのビジターセンターの裏手に、ほぼ噴火当時のままに保存されている「金比羅火口(こんぴらかこう)災害遺構散策路」があります。
洞爺湖ビジターセンターと、その裏にある「展望広場」
「展望広場」は「防砂ダム」の上に造られた展望台です。洞爺湖もすぐそこに見られます。
視線を左に移すと、「羊蹄山」(蝦夷富士)も見えます。
今回は、「金比羅火口災害遺構散策路」を紹介します。
直近の有珠山噴火は、2000年(平成12年)3月31日でした。噴火に先立つこと3月27日に予知され、29日に気象庁から「緊急火山情報」が出されました。噴火前に出されるのは初めてのことでした。
2008年の「洞爺湖サミット」の会場となったホテルです。
有珠山には多くの噴火の記録が残されていること、地域住民に過去の噴火を経験されている人が多かったこと、普段から防災教育がなされていたこと等から、噴火による被害は少なかったそうです。
散策路の入り口、あじさいの花咲く「あじさいの小径」を歩いて向かいます。
私は前回(2000年)、前々回(1977~1978年)の噴火のニュースもリアルタイムで目にしています。
しばらくして噴火の報道も落ち着いた頃、洞爺湖に行く機会がありました。湖畔周辺にはまだ大量の火山灰が残されていたことを覚えています。
センター裏手の「防砂ダム」を利用して造られた「展望台」から下に降りると散策路の入口があります。
そこで貰った「ふたつの火口散策路・ガイドブック」というパンフレットを見ながら、「あじさいの小径」を進んで行きました。
前回の噴火では、国道230号線が地盤の隆起・亀裂の発生により通行不能、熱泥流が温泉街まで流下し二つの橋が流出、小学校が損壊する等の被害が出ました。
展望台には、噴火当時の様子を伝えるいろいろな写真や解説が書かれた展示板がありました。
因みに、その損壊した小学校は噴火の数年前にある催し物の会場の一つで、私もそこを利用させてもらった思い出のある小学校でした。
「やすらぎの家」(左)「桜ヶ丘団地」(右)の建物です
やすらぎの家
ゆかりの碑
やすらぎの家の横を洞爺湖側に少し行くと、「ゆかりの碑」等のある広場があります。そこは、洞爺湖温泉街や湖畔が「目と鼻の先」と言ってもいいくらい間近に見える所でした。
流れてきた橋
やすらぎの家を後にして、五階建ての建物「桜ヶ丘団地」の方へ向かいました。その途中に「流れてきた橋」が横たわっていました。国道230号線に架かっていた「木の実橋」で約100mも泥流に流されて来たものでした。
桜ヶ丘団地
桜ヶ丘団地の元住民の方の中には「建物を残さず壊して欲しい」という声もあったそうです。でも、「噴火の実情を後世に伝え、減災に繋げるために」被災当時のまま1棟だけ保存されました。
桜ヶ丘団地の近くには、他に「洞爺湖電気鉄道の鉄橋跡」という表示板もありました。
桜ヶ丘団地を後に、次は「珠ちゃん火口」「有くん火口」を目指し、さらに山を登って行きました。
細い山道を歩いていくと、急に眼前が大きく広がり舗装された道路に出ました。一方はパイプを組んだ物で通行止めになっていて、噴火による地盤の隆起等により不通となった旧国道230号線ではないかと思われます。
旧国道を横切り、さらに道標に従ってまた細い山道を進んで行きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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