『襟裳岬へ』-霧の襟裳岬-
こんにちは、ご訪問ありがとうございます。
「冬の嵐」と「家庭の事情」により、1月末からブログの更新ができませんでした。大変申し訳ありませんでした。4月に入り北海道にもやっと春が訪れ、「冬の嵐」も「家庭の事情」も過ぎ去りました。これからは、また更新に励んでいきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。
襟裳岬
駐車場のすぐ傍には「襟裳岬 風の館」と「襟裳岬」の案内板
「風の館」へ通じる入口が見えて来ました
「襟裳岬」は霧の中でした
今回は、「襟裳岬へ」の3回目です。前回は、様似町に入り幸いにも陽射しや青空が見られるまでに天気が回復してきました。霧も海上にはまだ少し残っていましたが、陸では晴れて、目指す襟裳岬の天気にも期待が持てる雰囲気が出てきました。
漁船 コンブを干しています
コンブ漁の「有る・無し」を知らせる放送施設とのこと
襟裳岬方向の海上には「霧」が出ていました
途中、「アポイ岳」の登山口にある公園「アポイ山麓ファミリーパーク」にも寄りたいとも思いましたが、「ここはまず「襟裳岬」でしょう、社長!!」との心の声にしたがい、一路襟裳岬を目指してひたすら走ることにしました。
道路沿いには、こんな「バス停」がありました
国道336号線から道道34号線に入ります。これまで同様に海岸線沿いの道路を走っていると、背の高い木々が徐々に少なくなり低木や草地になっていくのが見て取れます。これは江戸時代末期から昆布等の海産物を目当てに移住が始まり、明治時代には開拓農民等が暖房や紙の材料として森の木を伐り続けた結果、砂漠化してしまいました。
襟裳岬へ向かう道路の海側には草原が広がっていました
ゼニガタアザラシ 岬の突端に向かう通路
樹木がなくなると襟裳特有の強風により表面の土が飛ばされ、赤褐色の火山灰砂が表面に出てきてしまいました。それが雨や強風で海に流出することによって海が汚染され、昆布や鮭、回遊魚も来なくなり、やがて海産物が取れなくなってしまいました。
霧のため岬の方はほとんど見えません
そのため、国は緑化事業を始めましたが、襟裳特有の強風によりせっかく根付いた草も吹き飛ばされてしまう等の失敗続きでした。しかし、「襟裳式緑化工法」という新たな緑化工法が生み出され、「襟裳砂漠」から「襟裳草原」へと変わっていきました。この時の大変な緑化事業の様子は、NHKの番組「プロジェクトX」で取り上げられ放送されました。
柵の下を覗きますが、霧でハッキリ見えません
岬の灯台 「襟裳岬」(歌:森進一)の歌詞
出発してから5時間近く、途中早朝の濃い霧に囲まれグローブまでベチャベチャになり、寒さと冷たさにに耐えながらやっとの思いで辿り着いた「襟裳岬」。心の中には、『晴れ渡った青空のもと岬の突端まで見渡せる感動の壮大な風景』が浮かんでいました。が、現実は実に厳しいものでした。
岬に近づくにつれ「悪い予感」はあったものの微かな望みは捨て切れず、ここまで来ました。「ガーーーン!!」(頭の中に「霧に~ 抱かれて~ 静かに~眠る~♪~♪」という昭和の歌「霧の襟裳岬」ならぬ「霧の摩周湖」のワンフレーズが流れていました。すいません古くて!知らない方の方が多いかも…)
柵の外は、どこも霧でよく見えません
岬の突端に着いても霧のためよく見えませんでした
霧がなければ海のずっと沖の方まで続いている岩場が見えるはずなのですが・・・
残念でした、実に残念でした。数年前に行った時には、素晴らしい景観を目にすることができました。今思うと、その時は「本当にラッキーだったんだ」と改めて思いました。そして、「近いうちにもう一度来よう、リベンジを果たそう!」と心に誓う「私」でした。
岬からの帰り道、海上低く霧が立ち込めていました
ご訪問ありがとうございました。