『宗谷岬へ』-旧花田家番屋からローソク岩-
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『旧花田家番屋』
かっては『陸の孤島』とも呼ばれていました雄冬岬から、さらに増毛国道、天塩国道(国道231・232号線)を北上して行きます。小平(おびら)町市街地を貫けしばらく走っていると鬼鹿(おにしか)海岸の右手に『旧花田家番屋』(日本最北端の国指定重要文化財、平成13年北海道遺産に選定)が見えてきます。
番屋の横には『道の駅:おびら鰊番屋』、道路を挟んで海側には『三船遭難慰霊之碑』や『松浦武四郎翁の像』等もあります。
『三船遭難慰霊之碑』
『三船遭難慰霊之碑』は、1945年(昭和20年)に北海道留萌沖の海上で起きた『三船殉難事件』の犠牲者を慰霊するために建てられたものです。
『三船(さんせん)殉難事件』は、樺太からの引揚者を乗せた日本の引揚船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)が国籍不明の潜水艦による攻撃を受け2隻(小笠原丸、泰東丸)が沈没し千数百名の犠牲者を出した事件です。
『松浦武四郎翁の像』
『松浦武四郎翁の像』は、江戸時代末期から明治時代にかけての探検家で、浮世絵師、好古家でもあった『松浦武四郎』の功績を讃え歌碑や像が北海道各地に建てられている中の一つです。
『松浦武四郎』は、1818年(文政元年)に伊勢国須川村(現在の三重県三雲町)に生まれ、地理学者であり、冒険家でもありました。27歳から6度に渡り蝦夷地を踏査し、詳しく書き記した地図、絵図、記録が高く評価されています。幕府の役人としても蝦夷地を調査し『東西蝦夷山川地理取調図』を刊行しました。
明治に入り、蝦夷地開拓御用掛、開拓判官となり北海道名、国名、郡の選定にあたり『北海道の名付け親』と呼ばれています。
『ローソク岩』
増毛町から幌延町までの日本海沿岸を通称『萌州(ほうしゅう)』といい、その道路を『萌州北街道』と呼ばれています。国道232号線を小平町から苫前町に入ると海岸に『ローソク岩』が見えてきます。とはいってもかっては「ローソク」のように細長い形をしていたらしいのですが、長年日本海の荒波に削られて「短いローソク?」のような形になってしまったそうです。
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