『新江別橋・江別大橋と石狩川風景』-江別市ー

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新江別橋    新江別橋・江別大橋

 今回は江別市街地外れの千歳川に架かかる『新江別橋』と夕張川に架かる『江別大橋』付近からの風景を紹介します。美唄等から札幌方面へ江別市を通って向かう際には必ずと言ってよいほど走りながら見かける風景です。

  江 別 市

 まず『江別市』を紹介します。石狩地方に入る市で、札幌中心部までJRで20分程で行くことができる札幌市のベットタウンとして発展してきました。名前の由来はアイヌ語ですが諸説がいろいろあります。幕末に松浦武四郎が訪れ『エペッケ』(意味は、ウサギの顔のように三つに分かれている所)と記録しています。 

ひまわり畑  函館本線

 (1)江別市の地理

江別市』は石狩平野のほぼ中央にあり、石狩川の両岸に渡って広がっています。また、夕張川、千歳川の合流地点でもあります。主な市街地は国道12号線やJRが通っている石狩川の南側あります。札幌市と北広島市との境にある野幌丘陵には2千㌶の『野幌森林公園』(野幌原始林;公園の一部に原始の時代から手つかずの状態で保存されている)があり、道立自然公園に指定されています。

江別大橋  江別大橋

 (2)江別市の歴史

 北海道の先史にとっても重要な土地の一つで、北海道南西部の『恵山文化』と『北海道東部の文化』が江別を含む石狩低地帯で融合したとされています。また、『江別古墳群』も発見されています。

 現在の江別市に和人が定住したのが1867年(慶応3年;明治元年の前年)通行屋の立花由松が住んだのが始まりとされています。1871年(明治4年)には農民21戸が対雁(ついしかり)に集団入植しました。1878年(明治11年)に江別太(現;王子地区周辺)に屯田兵村が置かれ江別村が誕生しました。1882年(明治15年)に官営幌内鉄道が開業し『江別駅』が設けられ石狩川水運と共に市街地を形成していきました。新潟県人北越殖民社が1886年(明治19年)に江別太に、1890年(明治23年)に野幌南部に入植し稲作を成功させました。

美原大橋  美原大橋

 1891年(明治24年)に江別太で煉瓦工場が操業、北海道炭礦鉄道により野幌煉瓦工場も造られ鉄道資材の生産も行われました。また、1908年(明治41年)に富士製紙北海道工場(現;王子エフテックス江別工場)も操業しました。

王子製紙工場  王子製紙工場

 (3)江別市の産業

 第一次産業は北海道の他市と比べてあまり盛んな方ではありません。酪農では乳用牛の割合が多く、米や麦、野菜も生産されています。石狩川ではヤツメウナギ漁が行われているので漁協もあります。

新江別橋  JR鉄橋

 北海道で2番目の製紙工場である富士製紙北海道工場(現;王子エフテックス江別工場)が現在も操業しています。国内有数の煉瓦産地で、北海道遺産にもなっています。

  (4)江別の特産品

 江別市は石狩地方でも有数の小麦の産地で、高タンパクで『幻の小麦』と言われる『ハルユタカ』の大半が江別産です。

石狩川  石狩川

 『煉化(れんが)もち』は江別市野幌の『山サ煉化餅本舗株式会社』が主に製造しているお菓子です。江別の煉瓦をモチーフに長方形にかたどられた餅で、中に十勝産あずき主原料のこしあんが入っていて、道産無農薬もち米を使用し添加物を加えずに作られているのが特徴です。尚、江別市について詳しくは『江別市ホームページ』をご覧ください。

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