JR札沼線を訪ねてー札比内駅ー
札比内駅
今回は月形町最後の駅になります『札比内(さっぴない)駅』です。駅名の由来は、アイヌ語の「サッ・ピ・ナイ」から来ていて、「乾いた石ころだらけの川」という意味です。札比内駅がある地域は、石狩川から2㎞程離れた所にあり、さらに山側に向けて緩やかな丘陵地帯が続いていています。里山まではさらに4㎞程ありますので、そうした地形から「乾いた石ころだらけの川」という名前が付いたのかもしれません(あくまでも私見ですが…)。
札比内駅の直ぐ近くには『中小屋川』が流れています。その川の少し上流から『札比内川』に分かれていて、さらに上流に行くと『新富ダム』によって堰き止められた『札比内貯水池』があります。前回紹介しました『豊ヶ岡駅』の近くを流れる『モロワ川』の上流には『豊ヶ丘ダム』もあり、前出の『月形ダム』も加えますと月形町はダムの多い町です。
『中小屋川』をさらに遡って行きますと『分監山』(標高459.7m)があります。『分監山』の名前の由来は実に月形町らしく『月形監獄札比内分監』がこの地にあったからだそうです。また、『中小屋川』の名前の由来も昔道路を切り開く際の受刑者達の収容小屋があったからだそうです。「分監山」のさらに奥に行きますと『三角山』(標高708.2m、北海道にはこの「三角山」と名付けられた山がたくさんあるそうです)があります。さらにさらにその奥の方には『ピンネシリ』や『神居尻山(かむいしりやま)』など『樺戸山地』に属する山々を眺望することができます。
私は春先になると「穏やかな青空の下、真っ白い雪で覆われ輝くように見える樺戸連山の姿」に何とも言えない魅力を感じ、毎年楽しみしています(だから今は我慢、我慢の毎日です、やがて春がやってきます…)。
『分監山』を調べていて、過去の事件に遭遇しました。1972年(昭和47年)5月31日、紋別空港を離陸した横浜航空のセスナ機『そよかぜ号』が行方不明になり、この「分監山」でバラバラになった機体が発見され、搭乗者10名全員が死亡した航空機事故がありました。
「中小屋川」を山の方へいくと、「新富地区」がありますが、そこに史跡の『石積み用水路』があります。1919年(大正8年)以降から昭和初期に造られた石積みの用水路で、現在もそのままの形で残っていて、地域の農業に不可欠な用水路となっています。また、この用水路の付近には珍しい植物が自生していて自然豊かな所となっています。
このように多くの史跡や自然豊かな『月形町』へ、旅行の際には目的地の一つに加えて頂き現地で実際にご覧頂ければと思います。
ご訪問ありがとうございました。
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