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旧広瀬写真館 こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。

 今回は、「旧広瀬写真館 (きゅうひろせしゃしんかん)」を紹介します。

        (訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)

 この建物は、大正末から昭和30年代前期まで空知郡岩見沢市で営業していた「広瀬写真館」を再現したものです。

旧広瀬写真館 旧広瀬写真館

 フィルムカメラに取って代わりデジタルカメラが主流となって久しいですが、それ以前まではカメラと言えば手軽さと安さで人気を博したレンズ付きフィルム(俗に使い捨てカメラ等とも呼ばれていた)や〇〇チョンカメラ等のフィルムカメラでした。

旧広瀬写真館 旧広瀬写真館

『   旧広瀬写真館       (説明板より)
 この建物は、大正末期から昭和33年(1958)まで岩見沢市街で営業した写真館を再現した。
 外観は、洋風であるが、内部の多くは和風で、和洋折衷の建物である。撮影には自然光を用いたため、写場は2階に設け、北側の屋根をシングル・スラントと呼ばれた斜めのガラス張りとしている。    』

 そして、スーパーマーケットやコンビニ、カメラ屋さんでも「スピード現像1枚〇〇円」とその現像の速さと安さをうたい文句にしていて、私もよく利用させて頂いた頃のことを懐かしく思い出します。

旧広瀬写真館 旧広瀬写真館

『   旧広瀬写真館       (説明板より)
 建物内部の間取りは、1階が受付と家族の居間や台所など、2階が写場・待合室・暗室などである。
 内部の展示は、大正末期の一般的な写真館のようすを展示している。当時の写場はスラント式で、白布・黒布の多段カーテンを開閉したり、反射板や調光器(薄い布を張った衝立)を用いて光を調節した。フィルムはガラス乾板で、だるま型三脚台座式アンソニーカメラを用いて撮影していた。    』

 この旧広瀬写真館が繁盛していた頃は、軸に巻き付けた帯状の写真フィルムはあったのかもしれませんが、実用化されて間もない等の理由で巷の写真館などでは一般的ではなかったのではないでしょうか(これはあくまでも私の勝手な憶測ですが…)。

旧広瀬写真館 旧広瀬写真館

 写真館内に展示しているカメラなどを見て想像するのですが、当時使っていたのはガラス板に感光剤(臭化カリウムの溶液と硝酸銀の溶液をゼラチンに加えて、光に感光する物)を塗布した「ガラス乾板」と言われたものではなかったかと思います。

旧広瀬写真館 旧広瀬写真館

 とある幕末の時代劇番組の中で「坂本龍馬が机のような物にもたれて立っている写真」を撮る際、「長時間じっと動かずにいなければならなかった」というシーンを見たことがあります。

旧広瀬写真館旧広瀬写真館

 それと同じようなことがこの写真館の中でも行われていたのではないでしょうか。

 その後の科学や技術の進歩でじっとしている時間が多少は短くなったのかもしれませんが…。

旧広瀬写真館 旧広瀬写真館

 写真を撮るうえでさらに大事なのは「光」でしょう、現代の様な進んだ照明機器もなかった時代ですから、自然の太陽光が一番頼りだったのではないでしょうか。

旧広瀬写真館 旧広瀬写真館

 晴れの日ばかりではなく曇りや雨の日にも写真を撮って欲しい、とお客さんはやって来たかもしれません。

 そんな時に頼りになるのは、やはり太陽光が中心だったのではないでしょうか。

旧広瀬写真館          旧広瀬写真館

 広瀬写真館の2階の写場には、「シングルスラント」と呼ばれるすりガラスの屋根が設けられていて自然の光を取り入れる工夫が成されていました。

※ 「スラント」とは傾斜や坂、斜面を意味し、土木用語の中では気泡等を利用して勾配を計測する器具のことを指しています。

※ 「北海道開拓の村ホームページ 『旧広瀬写真館』」を参考にさせて頂きました。

 ご訪問頂きありがとうございました。

 

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