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 私の父は十年程前に亡くなりましたが、昭和2年に十勝の農家の長男として生まれ、育ちました。長男なのに何故か農家は継がず、私が物心ついた時には日高の町でサラリーマンをしていました。その辺の経緯とかは多分聞いたこともなかったでしょうし、聞いたとしても覚えていません。でも、その頃(私が小学校に入学する前の5,6歳くらい)にはもう家に自動車(今でいうマイ・カー)があったことは覚えています。夢や幻ではなく、自慢でもなく、その頃の私が一緒に写っている白黒写真もありますし、何故かその車の記憶はうっすらとですがあります。その辺の細かな経緯とかについても多分聞いたこともなかったでしょうし、聞いたとしても覚えていません。でも、今にして思えば「詳しく聞いておけば良かったなぁー」と少し後悔が残ります。地方公務員の家庭でしたからお金持ちなんかではでありません(昔の公務員は給料が酷くやすく、「『田中角栄総理大臣』になって夢みたいに上がった」という話は聞いた覚えがあります)し、どうして自動車を買うことができたのか、今になって興味がわいてきました。

 その頃の自動車は、フロントバンパーの真ん中辺りに2~3cm位の穴が開いていて、『クランク棒』と言っていたように思いますが、人力でエンジンをかけていました。ただその頃の父は、今でいう『資格マニア』(日本全体がまだ貧しい時代で、親元から離れ体だけが資本の身上でしたので生きていくために資格を取ったのだろうと思います)で自動車免許(母から聞いたところによると、盲腸の手術で入院中に「暇だったから取った」と言っていたらしいです、昔は実地試験はなかったのかな?)、配管工事の資格、自動車整備士の資格(公務員する前に整備工場で働いていたらしいです)などを持っていたと聞いています。

 ずいぶんと前置きが長くなりすいません。後は簡潔にします。父の仕事が休みの時は自動車で出かけましたが、冬休み中などはバスや汽車を利用しました。母の親戚が札幌にいましたので、時々は国鉄日高本線を蒸気機関車に乗って遊びに行ったことを覚えています。行きは朝早い便、帰りは夜遅い便になり、よくは覚えていませんが途中乗換なんかもあって片道6時間位はかかっていたのではないでしょうか。という経験もあり、今でも鉄道が好きです。ところが時代の流れで、北海道のローカル線が何本も廃線になりました。また、残っている路線でも縮小されたり無人駅になってしまったりと、とても残念に思っていました。そこで、『ローカル線を訪ねて』みたいと思い立ち、私の住んでいる空知地方のローカル線から始めてみることにしました。次回から、まず『JR札沼線』の駅を何回かに分けて訪ね紹介していきますので、よろしくお願いします。

  ご訪問ありがとうございました。

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