『北海道のダム』-笹流ダム-

スポンサーリンク

笹流ダム公園 こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。

 今回は、「笹流ダム(ささながれだむ)」を紹介します。

       (訪問日:2022年(令和4年)5月中旬)

 笹流ダム(函館市赤川町313)は、二級河川亀田川水系亀田川(かめだがわすいけいかめだがわ)の河口から上流約8kmの本流と支流笹流川(ささながれがわ)との合流点付近の笹流川に建設されました。

 函館市企業局上水道部が管理する上水道専用ダムでバットレスダム(扶壁式中空鉄筋コンクリートダム)です。

笹流ダムへ向かう途中で 笹流ダムへ向かう途中で

笹流ダムへ向かう途中で 笹流ダムへ向かう途中で

笹流ダムへ向かう途中で 笹流ダム公園

 函館市街地から本ダムへ向かうには、道道347北上して行き赤川町に入り函館新外環状道路の「赤川インターチェンジ」高架下を通過します。

 そこから数百m進み交差点で右折し市道に入り道なりに進んで行くと笹流ダムに着きました。

笹流ダム公園 笹流ダム公園

笹流ダム公園 笹流ダム公園

笹流ダム公園 笹流ダム公園

※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。

 堤高25.3m、堤頂長199.4m、湛水面積7.6ヘクタール、総貯水容量60.7万㎥です。

 1920(大正9)年に着工され、1923(大正12)年に竣功しました。

 ダム湖の名前は、「笹流貯水池(ささながれちょすいち)」です。

笹流ダム公園 笹流ダム公園

笹流ダム公園 笹流ダム公園

笹流ダム公園から 笹流ダム公園から

 笹流ダムは、大正12(1923)年にできた日本で初めての「バットレスダム」です。

 バットレスダムとは、水圧を受ける堤体の壁面を格子状の補助的な壁(扶壁=バットレス)で支える構造の軽量ダムです。

 日本で最初に造られた「バットレスダム」は1918(大正7)年に南樺太に造られた「手井ダム」で、日本本土で最初に造られたバットレスダムは本ダム「笹流ダム」でした。

笹流ダム公園から 笹流ダム公園から

笹流ダム公園から 笹流ダム公園から

笹流ダム公園から     笹流ダム公園から

※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。

※ 手井ダム・・・かつて日本が建設した手井ダムによるダム湖・手井貯水池。旧王子製紙真岡工場に工業用水を供給しました。旧王子製紙真岡工場は1919(大正8)年に樺太工業が操業を始め、1933(昭和8)年に同社を吸収合併した王子製紙に受け継がれました。(ブログ「東側の歩き方」)手井貯水池は2018(平成30)年4月現在で健在のようです。

※ バットレス・・・ 壁を側圧に耐えさせ、安定させるために、壁のところどころで縦に直角方向に張り出したもの。扶壁、控壁とも言います。

※ バットレスダム・・・複数の扶壁を連ね、上流面の遮水壁を扶壁が支えることによって水圧に耐えるという構造を有します。扶壁は河床に垂直に立てる他、垂直扶壁を支えるための扶壁を水平に設置する。従って格子状の外観となります。

笹流ダム公園から 笹流ダム公園から

笹流ダム公園から     笹流ダム公園から堤頂へ

笹流ダム公園から堤頂へ 笹流ダム公園から堤頂へ

 なぜバットレスダムか? というと、当時はコンクリートが高価だったため、コンクリートを節約するための設計方式で、工期も短くて済むという利点もあったそうです

 笹流れダム以降、同様のダムが「三滝ダム」(みたきだむ:鳥取県・北股川)まで8基(そのうち2基は改修され違う型式になる)のダムが建設されました。

笹流ダム公園から堤頂へ 笹流ダム公園から堤頂へ

笹流ダム公園から堤頂へ 笹流ダム公園から堤頂へ

笹流ダム公園から堤頂へ 笹流ダム公園から堤頂へ

※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。

※ 日本のバットレスダム・・・  丸沼ダム(まるぬまだむ:群馬県 利根川水系 片品川・大滝川)、恩原ダム(おんばらダム:岡山県 吉井川水系恩原川)、真立ダム(まったてダム:富山県 常願寺川水系小口川)、真川ダム(まがわダム:別称:真川調整池 常願寺川水系牛首谷川)

 堤体中央部の130.9mがバットレスダムで、左岸取り付け部30.91mと右岸取り付け部37.58mは重力式コンクリートダムとなっています。

笹流ダム公園から堤頂へ 笹流ダム公園から堤頂へ

笹流ダム公園から堤頂へ 笹流ダム公園から堤頂へ

笹流ダム公園から堤頂へ 笹流ダム公園から堤頂へ

 亀田川本流に河川水を貯水池へ引き入れる目的で笹流貯水池取水堰が設けられています。

 赤川高区浄水場東側に可動堰が設けられ、左岸の取水口から延長約418mの導水トンネルで貯水池に導いています。

 ダム上流に「笹流温泉」(硫黄質・冷泉)があったが、貯水池に汚水が流れ込むことを懸念した函館市水道課が1924(大正13)年に買収して営業を廃止しました。

笹流ダム公園から堤頂から 笹流ダム公園から堤頂から

笹流ダム公園から堤頂から 笹流ダム公園から堤頂から

笹流ダム公園から堤頂から 笹流ダム公園から堤頂から

※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。

 「赤川の水源地」として親しまれ、約100年を経た現在でも函館市民の「水がめ」となって活躍しています。

 1949(昭和24)年と1984(昭和59)年に改修工事がなされています。

 1985(昭和60)年に「近代水道百選」、2001(平成13年度)年に「土木学会選奨土木遺産」、2005(平成17)年に「ダム湖百選、2008(平成20年度)年に「近代化産業遺産群」に認定されています。

笹流ダム公園から堤頂から 笹流ダム公園から堤頂から

笹流ダム公園から堤頂から 笹流ダム公園から堤頂から

笹流ダム公園から堤頂から 笹流ダム公園から堤頂から

 笹流川に合流する亀田川上流部に「中野ダム」(重力式コンクリートダム・52.0m)が建設されていましたが、「亀田川総合開発事業」によって「補助治水ダム」として改築され「新中野ダム」(重力式コンクリートダム・74.9m)となりました。

 この改修工事は、日本で最大級の「嵩上(かさあ)げ工事」であり「21.9m」嵩上げされました。

笹流ダム公園から堤頂から 笹流ダム公園から堤頂から

笹流ダム公園から堤頂から 笹流ダム公園から堤頂から

笹流ダム公園から 笹流ダム公園から

※ 函館市公式観光サイトはこぶら「矢部ダム」、フリー百科事典ウィキペディア「笹流ダム」「バットレスダム」「扶壁」、市政ポータルサイト函館市「笹流ダム前庭広場」、ブログ・東側の歩き方「ロシア鉄道極東鉄道支社 79 км пк9~Холмск-Сортировочный 手井貯水池とД2系」を参考にさせていただきました。

 ご訪問頂きありがとうございました。

 

矢 別 ダ ム ⇦⇦⇦ 今     回 ⇨⇨⇨ 次    回(準備中)

※青字部分をクリックすると、そのページが表示されます。

※これまで掲載した記事をご覧いただくには、「ホーム」ページの「インデックス」をご利用ください.

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。