『オホーツク~知床の旅』-龍宮台展望台・三里浜キャンプ場-

スポンサーリンク

龍宮台展望台 こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。

 今回は、「龍宮台展望台・三里浜キャンプ場」を紹介します。

      (訪問日:2019年(令和元年)9月下旬)

 前回では、紋別市の「コムケ湖・シブノツナイ湖」などを見学した後、「道の駅 かみゆうべつ温泉 チューリップの湯」に向かい温泉に浸かって汗を流し、さらにそこで一泊(車中泊)しました。

 翌日の見学地として、まずサロマ湖畔・オホーツク海沿岸にある「龍宮台展望台」(紋別郡湧別町登栄床(三里浜))に行くことにしました。

   龍宮台展望台

 龍宮台展望台は、一泊した道の駅から国道242号線を北へ向かい、途中で道道656号線に入ってサロマ湖畔沿いの道を東へ走って行くと左手に展望台のような建物が見えてきました。

龍宮台展望台へ 龍宮台展望台へ

小舟を 龍宮台展望台へ

 道道656号線は「龍宮街道」とも呼ばれています。

 その名前の由来は、歌人の「大町桂月」が1921(大正10)年にこの地を訪れてオホーツク海とサロマ湖の景観が気に入り、この地へ至る砂州を「龍宮へ続く道」としたことからだそうです。

龍宮台展望台へ 龍宮台展望台へ

龍宮台展望台へ 龍宮台展望台へ

龍宮台展望台へ 龍宮台展望台へ

※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。

※ サロマ湖・・・オホーツク海沿岸の北見市、佐呂間町、湧別町にまたがる日本最大の汽水湖(海水と淡水が入り交じっている湖)です。かつてはオホーツク海の湾入部が堆砂によって海と切り離された潟湖(外海から隔てられた水深の浅い湖)でした。

龍宮台展望台 龍宮台展望台

龍宮台展望台 龍宮台展望台

 その頃は、オホーツク海への湖口(こぐち)が砂州東部の鐺沸(とうふつ)にあったのですが秋から初冬の時化(しけ)によって閉じてしまっていました。

龍宮台展望台 龍宮台展望台

龍宮台展望台          龍宮台展望台

 それで春の融雪機になり水位が上昇する頃になると、鐺沸地域の住民は人為的に湖口を開削する作業(汐切り)を行っていました。

龍宮台展望台 龍宮台展望台

龍宮台展望台 龍宮台展望台

 サロマ湖西岸、南岸に住む住民たちは外海と往来するためには鐺沸に大回りをするか、人力によって小舟を砂州を乗り越えて行くしかないため、西寄りの湖口開削が強く望まれていました。

龍宮台展望台 龍宮台展望台

『   龍宮之碑      (石碑の碑文より)
     碑文
 昭和の始め、当地のさけ定置網に大海亀が乗網し、めでたき事と漁民により酒を振舞われ、海中に戻った
その秋、その定置網は押寄せたさけの大群に大豊漁となり、龍宮の地名と共に龍宮城よりの贈りものなかりしかと感謝の念をこめて鳥などを建立し、大海亀の再来を祈ったといわれている。
 このたび周辺環境の整備が行われるに当り、住民有志あいはかり、そのゆかりにより龍宮の碑と命名し、ここに建立する。
  昭和六十一年六月吉日
          登栄床地区住民一同     』 

龍宮台展望台 龍宮台展望台から

※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。

 1925(大正14)年の春に湧別町の住民が西寄りにある三里番屋付近に湖口を開削し約7.2mの水路開削工事が終了したところに、荒天により湖水大量流出などが起こり開削部が自然拡大(長さ350m、幅100m~幅120m、深さ7.6mへ)を越える永久湖口になり、1932(昭和7)年には湖口の最小幅が460mにまで広がっていたそうです。

龍宮台展望台 龍宮台展望台

龍宮台展望台 龍宮台展望台 

※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。

 1971(昭和46)年時点では最小幅は250mに縮まったが水深は23.9mへ深まり、1973(昭和48)年から常呂町側に長さ約300mの第二湖口の開削工事が行われ1979(昭和54)年に開通しました。

龍宮台展望台     龍宮台展望台

『       (解説板より)

 かつてサロマ湖の湖口は、これより遥か東、常呂町鐺沸(現在の栄浦)の地にあった。そのため登栄床地区の漁業者は、オホーツク海に船を出すためには遠い鐺沸を迂回するか、船を砂丘に押し上げて越えなければならず、大変な労力と時間を費やしていた。そこでこの龍宮台の先、砂丘最狭部の句作が熱望されたのであった。事業には春の融雪期の増水による畑地冠水に苦しんでいた農業者も加わり、工事は大正13年に始まった。しいかし想像を越えた難工事となり、容易には終らなかった。だが湖口開削にかける執念と熱意は村全体を動かし、昭和3年には村営事業となり、翌昭和4年4月20日、幅7m余りの通水溝がついに完成した。ところがなんとしたことか、機体に反して水は流れない。失敗かと人々が天を仰いだその晩、「天祐」とも言うべき大嵐が到来。オホーツク海の波浪と融雪の増水と残氷が通水溝をこじ開け、翌21日、幅約180mに及ぶ湖口が誕生した。積年の悲願がついに叶い、サロマ湖の輝く未来が拓かれた。
 昭和53年、北見市常呂町栄浦に新たな湖口(第2湖口)が開かれると、ここは第1湖口と称されるようになった。
             (写真提供:湧別町郷土館)       』

龍宮台展望台     龍宮台展望台

『         (解説板より)

 湖口を開いたことによって、サロマ湖には大量の海水が流入し、生物の生息環境は激変した。外洋性の湖に変わったことで、新たにエビ、ウニ、ホタテなどが湖内で獲れるようになった。一方、湖の水位と水温は低下したうえに、鐺沸の旧湖口が閉じてしまう。これにより主要産物であった天然カキは激減してしまった。昭和8年、カキの採苗試験のためにサロマ湖を訪れた木下虎一郎博士は、カキの採苗器にホタテの稚貝が大漁に付着していることを発見し、ホタテの天然採苗と、オホーツク海へ稚貝を放流する増殖を考案した。昭和9年、この増殖事業が開始された。この語、木下博士の教えを受けた多くの先達の英知と努力の結集により、採苗手法や大型稚貝の生産方法が改良され、ホタテ養殖事業の基本的技術が確立していった。さらにそれらは今日まで、着実な発展を遂げている。 
 湖口の開削は、オホーツク海への航路を開いただけではなく、多くの新しい生命を育み、サロマ湖を日本有数のホタテ養殖基地に発展させたのだった。    』

龍宮台展望台     龍宮台展望台

『       (解説板より)

 サロマ湖と結ばれたオホーツク海は、流氷に覆われる日本で唯一の海域である。冬季のサロマ湖は厚い氷に覆われ、これが流氷の侵入を防いできたが、昭和49年1月、湖が結氷する前に大量の流氷群湖内のホタテ・カキ養殖施設に壊滅的な損害をもたらした。以来気候の変化によって結氷が遅くなるにつれ、流氷群の侵入による被害が頻発し、漁業者はその都度命がけで氷割り作業に追われた。オホーツク海に広がる一大ホタテ生産海域を支える根源は、サロマ湖の稚貝生産である。漁業のみならず水産加工業、ひいては地域経済の発展の鍵を握るサロマ湖を守るため、流氷対策が最優先という漁業者の熱意が北海道や国を動かした。

 昭和63年、第1湖口が第4種漁港の指定を受け、オホーツク海漁業の前線基地でありサロマ湖内漁業を流氷から守る拠点として整備されることになった。
 平成10年、流氷侵入防止施設として世界初のアイスブーム(防氷堤)が完成。それから今日まで、大きな流氷被害は発生していない。 

               (写真提供:網走開発建設部)     』

※ 砂州(さす)・・・流水によって形成される堆積構造。河口付近では波と沿岸流によって形成される細長い堆積地形で海岸や湖岸の近くに見られます。例としては、「天橋立(あまのはしだて)」(京都府宮津市、宮津湾と阿蘇海)

   三里浜キャンプ場

三里浜キャンプ場(紋別郡湧別町登栄床436番地)は、龍宮台展望台の隣りにあるキャンプ場です。

三里浜キャンプ場 三里浜キャンプ場

三里浜キャンプ場 三里浜キャンプ場

 フリーテントサイトは300床、オートキャンプサイトは47区画、バンガローが10棟となっています。

三里浜キャンプ場 三里浜キャンプ場

三里浜キャンプ場 三里浜キャンプ場

 炊事場の他に男女別温水シャワールーム、コインランドリー、ゴミステーション(ゴミは基本的に持ち帰りですが、捨てる場合は有料のゴミ袋を購入ください)などの施設があります。

三里浜キャンプ場 三里浜キャンプ場

※ 以下の動画の中には風切音や機械音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量に十分ご注意ください。

※ フリー百科事典ウィキペディア「龍宮の碑と龍宮街道」、「砂州」、「サロマ湖」、プレスマンユニオンサイト「北海道STYKE 龍宮台展望台」、湧別町サイト「流氷・アイスブーム(龍宮台展望台)」、「三里浜キャンプ場」を参考にさせて頂きました。

   ご訪問頂きありがとうございました。

 

コムケ湖・シブノツナイ湖、他 ⇦⇦⇦ 今     回 ⇨⇨⇨ 水芭蕉群生地、計呂地交通公園

※青字部分をクリックすると、そのページが表示されます。

※これまで掲載した記事をご覧いただくには、「ホーム」ページの「インデックス」をご利用ください。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。