『道南の旅』-弁慶の足跡-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「弁慶の足跡(べんけいのあしあと)」を紹介します。
(訪問日:2019年(令和元年)7月下旬)
前回紹介しました鴎島灯台を後にして、さらに島の南側へ向かいました。
江差追分節記念碑
鴎島灯台から歩き出して数分の所に「江差追分節記念碑 」と刻まれた石碑がありました。
『 ⑨江差追分節記念碑(えさしおいわけぶしきねんひ) (説明板より)
江差追分(えさしおいわけ)が全国的に知られるようになったことを記念して、昭和(しょうわ)7年(1932)に建てられました。
石碑裏面には、当時歌われていた代表的な歌詞「松前江差(まつまええさし)に鴎(かもめ)の島(しま)は地(ち)から生(は)えたか浮島(うきしま)か」が刻(こく)されています。 』
1932年(昭和7年)に江差追分会本部が建立、揮毫(きごう:毛筆で書くこと)は当時の北海道長官佐上信一氏によるものだそうです。その頃から「江差追分」が全国に広まっていったということです。
弁慶の足跡
江差追分節記念碑から南の方へややしばらく歩いて行くと、「弁慶の足跡」と書かれた標示板がありました。
※ 以下の動画には風切音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量にご留意ください。
以前に紹介しました「馬岩」(義経を待つ続けて岩と化したという)のちょうど裏側に当たる辺りでしょうか、日本海に面した海岸の海面下に「わらじ」で踏んだような形の跡・窪みが見えていました。
※ 以下の動画には風切音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量にご留意ください。
それが「弁慶の足跡」と呼ばれているものでした。
※ 以下の動画には風切音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量にご留意ください。
初めて見聞きする「弁慶の足跡」でしたので、崖下の海岸に打ち寄せる波間の様子を見ながら道を歩いてきましたが、足跡らしきものが発見できずにここまでやってきました。
『 弁慶の足跡 (説明板より)
義経主従が江刺に第一歩をふみいれたのがこの鴎島である。
眼下の岩場にちょうど「わらじ」でふんだような足形の穴が二つみえる。これが弁慶の足跡と言い伝えられているものであるが、この地方ではこの穴を「エンカマ」と呼んでおり、海面下のものも加えると十数個に及ぶ。
義経の従者であった弁慶が残したといわれるこの足跡も歴史上の人物がつけたという日本各地に伝わる手形石、足形石、足跡石等の一般的地形造形の伝説である。
江差観光協会 』
『 ⑩弁慶の足跡 (説明板より)
汐が満ちると隠れてしまいますが、崖下の平らな岩盤に、足跡のような2つの大きな穴が開いています。
これは、源義経に伴って江差へやってきた弁慶の足跡だと伝えられています。 』
※ 以下の動画には風切音などの雑音が入っていますので、視聴に際しては音量にご留意ください。
※ 「江差町公式ホームページ『弁慶の足跡』」を参考にさせて頂きました。
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