『道南の旅』-北前船の係船跡-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「北前船の係船跡(きたまえぶねのけいせんあと)」を紹介します。
(訪問日:2019年(令和元年)7月下旬)
前回は、「かもめ島」に向かって右側に広がる「前浜」に入って行くと、最初に目に入ってくる「瓶子岩(へいしいわ)」を紹介しました。
瓶子岩を見学した後その横を通り、近くに立っていた案内の標識には「Aコース ③北前船の係留跡」「島上(B・ℂコース)⑫井 戸」とありました。
井戸の横の道を進んで行くとかもめ島の上へ登って行けるようですが、私は海岸沿いを歩いてあちこち見学しながら島上に上がって行くAコースを選びました。
「北前船の係船跡」とは、かもめ島の前浜にあり昔北前船が係船していた場所です。
北前船は、かもめ島の岩盤に穴をあけ立てた木杭(もっくい)に船からの綱を結んで停船をしていました。
※ 北前船・・・江戸時代から明治時代にかけて日本海で海運を担った船のことで、当時の資料には「弁財(べんざい)」「弁財船(べんざいせん)」と記されています。
北前船は、預かった荷物を運ぶのではなく、船頭が各地で仕入れた産品をそれを欲しがっている各地で売るという商いをしていました。儲かることもあれば赤字になることもあったそうです。
江差で仕入れる産品の代表はニシンの加工品で、早春に獲れたニシンを加工して出荷できる時期は5月の下旬から7月頃、各地から北前船が江差にやって来て「江差の五月は江戸にもない」と言われるほどに賑わったそうです。
『 ③ 北前船の係留跡 (説明板より)
近代的な港が整備されるまで、鴎島(かもめじま)が江差の港でした。江差にやってきた北前船は、鴎島の周囲に立てた木杭に綱を渡し、船を係船しました。
鴎島は海側からの風を防ぐ、自然の防風壁だったのです。』
※ 「江差町公式ホームページ『北前船』」を参考にさせて頂きました。
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