『北海道開拓の村』-札幌農学校寄宿舎・恵迪寮-
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今回は、「札幌農学校寄宿舎・恵迪寮 (さっぽろのうがっこうくしゅうくしゃ・けいてきりょう)」を紹介します。
(訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)
1876年(明治9年)に現在の北海道大学の前身である札幌農学校が開校し、現在の札幌時計台辺りに寄宿舎(恵迪寮の前身)が設置されました。
1903年(明治36年)に札幌時計台一帯にあった校舎を現在のキャンパスへ移転するに伴い寄宿舎(南寮と北寮の2棟)も新築されました。
1905年(明治38年)に開舎式が行われ、1907年(明治40年)には寄宿舎の名前を「恵迪寮」と命名されました。
『 旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮) (説明板より)
開拓使仮学校に始まる札幌農学校(現在の北海道大学)は、明治9年(1876)、現在の時計台付近に開学した。明治36年(1903)に現在の北大構内へ移転し、寄宿舎も新築され、同40年に恵迪(けいてき)寮と命名された。
当時は玄関棟と2棟36室および厨房棟があったが、ここでは玄関棟と2棟12室を復元した。 』
『 旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮) (説明板より)
この寄宿舎は、明治38年(1905)に開寮市建物の一部を再現したものである。内部の展示は、明治42年(1909)
頃を想定している。
南寮1階は、明治期の寮室を再現し、委員室に開拓使仮学校や札幌農学校、東北帝国大学農科大学などの資料展示をしている。2階は、大正~昭和初期の寮室を再現し、寄宿舎係室に、北海道帝国大学や北海道大学と寮関係資料を展示している。 』
その寮名の由来は、四書五経(ししょごきょう)『書経(しょきょう)』の中で、後に舜帝(しゅんてい)から帝位を譲られた禹(う)が述べた『恵迪吉、従逆凶、惟影響 -禹曰く、迪(みち)に恵(したが)えば吉にして、逆に従えば凶なり。惟(こ)れ影響たり-』に由来しているそうです。
わかりやすく言い換えると「善道に従えば吉事があり、悪道に従えば凶事があるのは、影が形に従い、響が音に応ずるようにように確かで明らかなことです」ということになります。
※ 舜帝・・・中国神話に登場する君主で、「史記」の中で五帝の中の一人とされています。
※ 禹・・・中国古代の伝説的な帝(みかど)で、夏朝(かちょう)の創始者です。
北海道開拓の村に復元された寮舎は、校舎移転に際して新築された「初代恵迪寮」で、1984年(昭和59年)に恵迪寮同窓会が寄贈したものです。
1931年(昭和6年)に第2代恵迪寮として北18条に移転しましたが、新築ではなく旧寮舎の資材を使い玄関棟の配置換えをするなどして移築されました。
この北区にあった第2代恵迪寮を解体・搬出して開拓の村に移築するに当たり、1931年の移転の際に変更したところを元に戻して初代寮舎に復元されました。
この北海道大学恵迪寮は、東京大学駒場寮(廃寮)・京都大学吉田寮と共に「日本三大自治寮」と称されています。
※ 自治寮(じちりょう)・・・寮生自らが管理運営に関与している学生寮のことです。
※ ウィキペディアフリー百科事典「恵迪寮」・「四書五経」・「日本三大自治寮」・「禹(う)」、「北海道開拓の村ホームページ」、一般社団法人恵迪寮同窓会サイト「恵迪寮の歴史」等を参考にさせて頂きました。
ご訪問頂きありがとうございました。
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