『道南の旅』-エビス浜-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「エビス浜」(江差町)周辺の様子を紹介します。
(訪問日:2019年(令和元年)7月下旬)
開陽丸見学を終えた私は、浜辺に降り「かもめ島」に向かいました。
「かもめ島歩きMAP」を見ると、「島の下部」私が立っているこの浜辺周辺と、「島上」にも見所がたくさんあることが分かりました。
『 ① 馬 岩 (説明板より)
伝説では、源義経は衣川(岩手県)で死んでおらず、江差へ渡ってきました。
鴎島の断崖にある白い岩は、義経がさらに北へ逃れる時に、残された義経の愛馬が医師になったものと伝えられています。 』
海抜20m、周囲約2.6㎞の陸繋島(りくけいとう)の「かもめ島」、島への入口は砂浜で島に向かって右側を「前浜」、左側は「エビス浜」と呼ばれ、「エビス浜」は夏の間は海水浴場にもなっているようです。
そこで私は、まず左側に広がる「エビス浜」を散策してみることにしました。
ここから目にすることができる名所として、「馬岩(うまいわ)」があります。
馬岩は、江差に伝わる「義経伝説(よしつねでんせつ)」にまつわるものです。
『江差に渡った義経はこの地の首長・シタカベのもとに身を寄せていたが、フミキとの恋に悩んだ義経はこの地を離れる決心をした。
弁慶らお供の他に白い愛馬がいたが、蝦夷地の奥地に向かうための夷船(いせん)にどうしても乗せることができず、やむなく江差に残して行くことにした。
しかし、この白馬は雨の日も風の日も義経の帰りを待ちわびていたが、ついに義経は帰ることはなかった。
白馬はいつしか白い岩になってしまったが、その姿がまるで生きているが如く首を上げていなないているかのように見えた。
後世の人々は、いつしかこれを「馬岩」と呼ぶようになった。』(江差百話より)
舟に乗って近づくと「馬の姿によく似た形をして水面に座っている」ように見え、夏にはかもめ島の岸を左折して岩伝いに歩くと、近くまで行ってみることができるそうです。
エビス浜を西の端まで歩いて行くと、突き当りの岩壁にトンネルと通路があり、アーチ状の橋を渡って行くと向こう側に出られるようでした。
「トンネルを抜けると、そこはまた砂浜であった」なんちゃって!!
浜辺が続いてはいましたが、鴎島の南端まではつながっておらず、先ほどの馬岩までも行けそうにないように思いました。
所々に岩の壁があり、その中の一つには波の浸食か何かでできたのでしょうか? ぽっかりと大きな穴が開いていました。
大人でも2人くらいは楽に入れるような大きさでした。
浜辺から江差港を隔てて見える開陽丸の姿をしばらく眺めていましたが、かもめ島の右側「前浜」方面へ向かって歩き出しました。
※ ウィキペディアフリー百科事典「鴎島 」、「江差港」、北海道江差町の観光情報ポータルサイト「かもめ島」を参考にさせて頂きました。
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