『道東の旅Ⅲ』-道の駅忠類・忠類ナウマン象記念館-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「道の駅忠類・忠類ナウマン象記念館」(幕別町忠類(まくべつちょうちゅうるい))を紹介します。
(訪問日:2019年(令和元年)9月下旬)
前回は、ハート型をした湖沼でお菓子のCMで全国に知られることになった「豊似湖」を紹介しました。
駐車場へ戻る間際に「山おやじ(ヒグマ)のフン」かもしれない「落とし物」(違うかもしれませんが…)を見つけ、何故か歩調が速足になってしまう自分に気づきました。
何せここは北海道・日高の山中、ヒグマの生息地の真っ只中、いつヒグマが出てきてもおかしくはない場所です。
そんな所に「熊がよく活動する時間帯とされる朝と夕」の夕方のお食事の時間帯だというのに、無謀にもたった一人でウロチョロしているわけです。
「熊の晩ご飯にはなりたくない!」と私が思うのは、これ人情、自然なことでしょう?!
「走って戻りたい!」という気持ちに、「熊が出る…?まさか…?考えすぎ…!?」、「逃げるものを追うのが熊の習性だとか、どっかで見てるかも?」、「…いやいやいやっ…、…」
駐車場まで距離にして約200m、歩いて5分ほどの所なんですが、頭の中では楽観と万が一がせめぎ合っている?感じでした。
『 忠類ナウマン象記念館 (説明板より)
多くの発見がそうであるように、1969年(昭和44年)7月、農道工事現場で偶然に発見された2個の化石が、その後、幻の像といわれていたナウマン象の雄姿を太古の眠りから蘇えらせるきっかけとなった。そして、1988年(昭和63年)8月、貴重な発見を末永く後世に伝えるため、太古のロマンを秘め、忠類ナウマン象記念館がオープンいたしました。
この建物は、ナウマン象の姿を想像し、玉石を埋め込んだ外壁は象の肌、記念館までの「時の道」と呼ぶ長い歩道は、鼻と牙、そして、両側の円柱では、古生物の誕生から人類までのの進化を伝え、現代空間から太古の世界へと、大きな時の流れを表現しており、次第にナウマン象の生息した世界へと誘い込むタイムトンネルをイメージしております。 』
不安渦巻く中、何ごともなく無事に駐車場に戻ることができました。
ホッと安心したところで、気を取り直して車内に入り地図を見ながら、これからの予定やら今晩のねぐらやらを考えました。
豊似湖で2時間ほど山登りをして汗を流し、その帰り道では冷や汗まで流し、その疲労感たるや半端ない感じがしました。
今晩は、ぜひとも風呂に入って汗と疲れを癒したい気持ちでたまりませんでした。
その願いをかなえられる場所はないかと探していたら、「ウソでしょう?!」と思わず口から出そうなピッタンコ!な場所を見つけました。
それが今回の「道の駅 忠類」で、その道の駅の隣には「十勝ナウマン温泉ホテルアルコ」。
「お風呂、大衆浴場、銭湯で十分」と思っていたのに、ぜいたくにも「温泉」に入れるのです。
しかも距離的にも豊似湖からそんなに遠くなく、まだ明るい内に到着できそうでしたので、さっそく向かいました。
十勝地方南部にあった「忠類村」が、2006年(平成18年)に隣接する幕別町に編入合併し幕別町忠類となりました。
1969年(昭和44年)に忠類晩成地区の農道工事現場で側溝掘り作業をしていたアルバイトの少年、その振り下ろしたツルハシの先に湯たんぽのような模様がある楕円形の塊を偶然発見しました。
少年はそれが教科書に載っていたゾウの歯に似ていることに気づき、専門家による調査の結果「ナウマン象の臼歯」だと分かりました。
さらに発掘調査をして全骨格の70~80%にあたる47個の化石が掘り出され、日本で初めて全身骨格の復元に成功したのでした。
1988年(昭和63年)に「ナウマン象記念館」がオープンし、その特徴ある建物は「第1回北海道建築賞」を受賞しました。
玉石を埋め込んだ外壁は象の肌を、記念館までの長い歩道は鼻と牙をイメージし、歩道両側の円柱上にある絵は古生物の誕生から人類までの進化を伝えているそうです。
ナウマン象は、約2~3万年前の新生代更新世後期まで日本列島や東アジア大陸に生息し、体長は2.5~3m、氷河期の気候に順応するために全身体毛で覆われていたといわれています。
忠類ナウマン象記念館に向かって左隣にある「ナウマン温泉アルコ236」は、アルカリ性単純泉で源泉100%の温泉で、サウナや露天風呂、ジェットバスなども設けられています。
※ 詳しくは、「忠類ナウマン象記念館」や「ナウマン温泉アルコ236」で検索してみて下さい。
さらに忠類ナウマン象記念館に向かって右隣にある「ナウマン公園」には、噴水やアスレチック、パークゴルフ場、キャンプ場などがあり、晴れた日には「日高山脈」の絶景も一望できます。
その晩私は温泉にゆっくりとつかった後、近くのコンビニで調達した食事を食べ若干のお酒を飲んでぐっすりと眠ることができました。
『 ちゅうるいのナウマンゾウ (説明板より)
はなをたかくあげたゾウのすがたは、むかしから、おしろやまちをまもるとされてきました。
このおとうさんとあかちゃんゾウのうしろからは、おかあさんもやってくるようです。
ちゅうるいのナウマンゾウはは、いまから12まんねんまえものむかしのもので、そのころには、このゾウは、ほっかいどうからおきなわまでひろくすみついていました。
43まんねんまえに、たいりくからりくづたいに、にほんのしまじまにわたってきて、2まんねんまえのひょうがじだいのおわりごろまでは、どこでも、すがたがみられたとのことです。
おとうさんゾウのトランペットのようななきごえ、あkちゃんゾウがへんじをしました。おかあさんゾウのなきごえもきこえますね。
いまでは、いきているナウマンゾウはみられませんが、わたしたちのそうぞうのせかいではいまもいきつづけています。
1999年10月
指導・監修 かめい・ただお 』
そのせいか翌朝は早くに目が覚めたので、ナウマン象記念館(早朝なので閉館中で中は見られませんでした)周辺を散策しながら見て回りました。
そのナウマン象の化石が発見されたという「ナウマン象発掘の地」を見学しようと思い、道の駅忠類を出発しました。
※ ウィキペディアフリー百科事典「道の駅忠類 」、「忠類ナウマン象記念館」を参考にさせて頂きました。
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