『根室本線(滝川駅~根室駅)駅巡り』-幾寅駅-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は、「幾寅駅(いくとらえき)」(空知郡南富良野町字幾寅)を紹介します。
(訪問日:2015年(平成27年)9月下旬)
※ 本駅を取材してから早5年近くの歳月が流れてしまいました。この「駅巡り」シリーズは取材した順ではなく、その線の「上り」もしくは「下り」順で紹介しています。それで、各駅への訪問日と実際にブログで紹介する日がかなり離れてしまうことにもなってしまいます。そのため、2020年(令和2年)現在の各駅の様子と、私が紹介している画像とは異なる場合もありますので、ご了承ください(記事中の「訪問日」をご参照ください)。
前回紹介しました「東鹿越駅(ひがししかごええき)」を後にして、東へ約3㎞ほど行くと道道1030号線と交差する交差点があります。
その交差点で左折し少し進むと、今度は国道38号線と交差する交差点があります。
その交差点で右折し約100mほど進んだ所の道路沿いに「幾寅駅→」の案内板がありますので、そこで右折し脇道に入っていくと本駅に着きました。
本駅の名前の由来は、所在地名に由ります。
「ユクトラシュベツ川」を指すアイヌ語の「ユクトゥラシペッ」(鹿が・登る・川)の上部をとって漢字をあてたものとされています。
本駅の大まかな成り立ちについて紹介します。
・1902年(明治35年):北海道官設鉄道※十勝線の一般駅として開業する。
・1905年(明治38年):官設鉄道※に移管される。
※ 以下の各動画の視聴に際しては、音量にご留意ください。
・1909年(明治42年):十勝線と釧路線を統合して「釧路線」と制定される。
・1913年(大正2年):線路名が「釧路本線」に改称される。
・1921年(大正10年):線路名が「根室本線」に改称される。
・ 同 年 :本駅~幾寅久住駅間に幾寅森林軌道(馬車鉄道)が開業する。
・1928年(昭和3年):幾寅森林軌道が廃止される。
・1933年(昭和8年):駅舎が全焼、その後駅舎を南側から北側に移転し再建される。
・1949年(昭和24年):日本国有鉄道(国鉄)に継承される。
・1982年(昭和57年):貨物扱いが廃止される。
・1984年(昭和59年):荷物扱いが廃止され、その後無人化される。
・1985年(昭和60年):簡易委託化により乗車券の販売が再開される。
・1987年(昭和62年):国鉄分割民営化によりJR北海道に継承される。
・1994年(平成6年):釧路支社管轄から本社鉄道事業本部管轄に変更される。
・2003年(平成15年):簡易委託が廃止、完全無人化される。
・2016年(平成28年)8月:台風10号による大雨の影響で根室本線の富良野駅~音別駅間が不通になる。
・ 同 年 10月:東鹿越駅~落合駅間で列車代行バスの運行が開始される。
・2017年(平成29年):前年の台風の影響で不通が続き、代行バス運行の形態が変更され、東鹿越駅~新得駅間の運行が基本となる。
1面1線の単式ホームをもつ地上駅(無人駅)です。
本駅は、1999年(平成11年)に公開された映画「鉄道員(ぽっぽや)」(降旗康男監督、高倉健主演、第23回日本アカデミー賞の最優秀作品賞、最優秀主演男優賞などを受賞)のロケ地です。
映画の中で本駅は、「幌舞(ほろまい)」という地名で、「幌舞駅」として登場しています。
実際に列車から下車し駅のホームの階段を降りると、「ほろまい」の看板が実際にあるのです。
そこは、今でも撮影当時そのままの状態で保存されている無人駅で、JR北海道の根室本線で現在も使われている現役の駅なのです。
※ 『 鉄道員(ぽっぽや)「キハ12 23」 (解説板より)
この車両は、都市近郊・地方の非電力化区間で通勤・通学の足として利用されているキハ40系ディーゼルカーを、映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケで使用するために、札幌の苗穂工場で大幅な改造が行われ、さらに、東映美術スタッフの手により、経年化を物語る"汚し"を施したものです。
実際の「キハ12」は、北海道向け専用車として、昭和31年から32年にかけて22両が製造され、その後は道北・道東を中心に活躍し、昭和55年までに全車が第1線から引退しました。
この車両は、実際の「キハ12」が22両製造されたことから、撮影では23両目の車両、「キハ12 23」と命名され、映画「鉄道員(ぽっぽや)」のもう一つの主役として、銀幕いっぱいに活躍しました。 』
駅構内には撮影風景の写真や衣装など様々な関係資料が展示されています。
切符売り場の奥には、高倉健さんが演じた佐藤乙松駅長が一人で日誌をつけたりしていた机などのある事務スペース、さらにその奥には大竹しのぶさん演じた妻・静枝と暮らしていた居住スペースもあります。
駅舎の傍に静態展示されている列車「キハ40 760」※は、撮影に実際に使われたもので、車内に入って座席に座ったりすることもでき、その昔懐かしい姿に感慨ひとしおです。
一人娘・雪子が生まれた時に乙松が購入した人形、その人形を夜間に取りに来た女の子と出会うシーンに使われた駅のトイレも駅舎も近くに残されています。
また、「だるま食堂」や「理髪店」などのロケセットも残っています。
遡ること20数年前、高倉健さんを始めとする多くの役者やスタッフにより「鉄道員(ぽっぽや)」が撮影されたこの地。
今はその足跡さえも一切残ってはいないけれど、「あの高倉健さんらが立っていたのと同じ場所に、今私も立っているのか…」と思うと、何とも言えない感無量な気持ちになりました。
※ ウィキペディアフリー百科事典「北海道官設鉄道 」「幾寅駅」「国鉄キハ40系気動車 (2代)」「国鉄キハ10系気動車」を参考にさせて頂きました。
※ 北海道官設鉄道・・・1896年(明治29年)北海道鉄道敷設法が公布・施行、北海道庁がその建設にあたることとなり、函館本線、宗谷本線、根室本線(富良野線)などの一部を開業していきました。
※ 官設鉄道・・・1905年(明治38年)に北海道庁鉄道部が廃止され、逓信省鉄道作業局に移管され、北海道庁の管轄から逓信省の管轄となり、道外の国有鉄道と同様の扱いとなりました。
※ キハ40 760・・・日本国有鉄道(国鉄)が製造した気動車(ディーゼル動車)で、1990年から1994年にかけてキハ40形100番台にワンマン運転対応工事を行った車両。
ご訪問頂きありがとうございました。
※青字部分をクリックすると、そのページが表示されます。
※これまで掲載した記事をご覧いただくには、「ホーム」ページの「インデックス」をご利用ください。