『北海道開拓の村』-旧ソーケシュオマベツ駅逓所-
こんにちは、ご訪問頂きありがとうございます。
今回は,「旧ソーケシュオマベツ駅逓所 」(きゅうそーけしゅおまべつえきていしょ)を紹介します。
(訪問日:2018年(平成30年)6月上旬)
この駅逓所(えきてい)は、明治40年喜茂別(きもべつ)村と大滝(おおたき)村の中間地点にたてらえた官設駅逓所(かんせつえきていしょ~国が設置したもの)です。
明治42年から昭和9年まで使われていました。
駅逓がたてられた時代はまだ車や汽車のないところが多かったので、人々は徒歩か馬で目的地へ向かったのです。
北海道におかれた駅逓の数は517かしょです。
駅逓は、宿泊やゆうびんもあつかっていました。
駅逓の近くにすんでいる人たちは、旅人(たびびと)の話を聞いて、外のニュースにふれることもありました。
もちろん馬ごやもありました。
『 旧ソーケシュオマベツ駅逓所(厩舎) (説明板より)
駅逓では、人や荷物の運搬、農作業に馬が使われたので、付属する建物として厩舎(馬小屋)が設けられていた。
この駅逓では、明治44年(1911)頃、50町歩(約50ヘクタール)の牧場と、8頭の官馬を持っていたという。厩舎は大正4年(1915)に建てられた。 』
『 旧ソーケシュオマベツ駅逓所(厩舎) (説明板より)
厩舎の中には、通路をはさんで馬房、飼料室、産室が向いあわせで並んでいる。
馬夫休憩所は馬が病気の時などに馬夫が寝泊まりするのに使った。飼料は主に燕麦であるが豆の殻なども食べさせた。馬房の敷ワラは常に取りかえられ清潔に保たれた。汚れたワラは外に積まれ、堆肥として使われた。
内部には、馬の飼育のようす、馬具類などを展示している。 』
『 旧ソーケシュオマベツ駅逓所(厩舎) (説明板より)
内部は客室、取扱人室、使用人室に分かれている。燈室には、各部屋に配るランプが置かれていた。ソーケシュオマベツ駅逓所の取扱人は、はじめ水沼菊三郎であったが、明治44年(1911)には真狩村収入役を勤めた長屋國太郎にひきつがれた。
台所の大きな囲炉裏は、わらじばきのまま入れる様になっていて、人が集まって談笑する場所でもあった。内部には、大正末期の駅逓にようすを展示している。 』
『 (展示物の説明文より)
明治、大正期にかけて交通機関が未発達だった北海道では、旅行や荷物の輸送に馬が重要な役割を果たしていた。
各駅逓所には、国から8~10頭の馬と、牧場が支給されていた。馬の種類は最初、土産馬が中心であったが、しだいに馬種改良が行われるにしたがい、中間種(主にトロッター種)などが多く使用されるようになった。馬の扱いについては、常に注意保護し、過酷な扱いをしないことなどの規則が定めされ、国の監視のもとで大切に扱われていた。 』
『 (展示物の説明文より)
明治28年(1895)6月、国は北海道の開拓を進めるうえで、「官設駅逓所」の制度を定め、物資輸送の継立や、宿泊施設を必要とする場所に駅逓を設置し、交通網の整備をすすめた。駅逓所で業務を行う取扱人や、駅舎、畑地、牧場、馬などは国の費用で賄われた。
道内で設置された官設の駅逓所は、延べ517ヵ所(千島41カ所)におよんだが、鉄道など交通機関の発達のともない、しだいに機能が失われ、昭和22年(1947)3月に全廃された。 』
※ 「北海道開拓の村ホームページ『旧ソーケシュオマベツ駅逓所』」を参考にさせて頂きました。
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